神武王朝第五代・孝昭大王(こうしょうおおきみ)の香殖稲(かえしね)

謎の始まりは、「古事記日本書紀」に見える皇統・孝昭大王(こうしょうおおきみ・第五代天皇)の存在である。この大王(おおきみ)実在説もあるが、いわゆる欠史八代の一人で、実在しない天皇と捉える研究家の見方が一般的である。

当時、古事記・日本書紀の編纂に携わった人間が、国家の正史を編纂するにあたって後世へのメッセージを暗号化して謎解きを残す事は充分に考えられる。

その、大きなメッセージが「香殖稲(かえしね/根を反す)」ではなかったのか?

「古事記」によると、御眞津日子詞惠志泥(みまつひこかえしね)の命(みこと)、葛城の掖上(わきがみ)宮に坐(ま)しまして、天の下治(し)らしましき。この後は、比売(ひめ)を娶り、二人の御子をもうける。その内の一人が「大王(おおきみ・天皇)の位についた。」と記されている。

「日本書紀」では観松彦香殖稲(みまつひこかえしね)の尊(みこと)と記されているこの孝昭大王(こうしょうおおきみ・第五代天皇)、何と在位は八十三年、崩御された時の年齢は日本書紀に百十四歳、古事記には九十三歳とあり、当時としてはとんでもない長寿で、大きな謎である。

この数字が、二人分の生涯なら話は早い。

欠史と言う事で、実在も疑われているこの辻褄が合わない大王(おおきみ)が、なぜか命(みこと)の時「葛城の掖上(わきがみ)宮」に坐(ま)しましていた。ここらに、若き葛城臣王(葛城御門)が在任中の大王(おおきみ)の年号、在位年数をそのまま引継ぎ、「入れ替わった」ので生涯年齢の数字が延びたのなら、説明が付くのだ。

これも、「血統至上主義」の為に封印された歴史の一つではではないのだろうか?

名前の中にある「かえしね」の意味は何だろう、「返し根(根を返した)」すなわち「血統をヒックリ返した」の暗号ではないのだろうか?

この「根(ね)」の話を取り上げると、孝霊大王(こうれいおおきみ/第七代天皇)は、日本書紀に於いて大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)・古事記に於いては大倭根子日子賦斗邇命が初出である。

孝元大王(こうげんおおきみ/第八代天皇)は、日本書紀に於いて大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)・古事記に於いては大倭根子日子国玖琉命が見られ第九代開化大王(開化天皇)と続く。

つまり日本書紀に於ける大日本根子(ヤマトネコ)・古事記に於ける大倭根子(ヤマトネコ)の称号・根子(ネコ)は、「記・紀編纂」の七世紀末から八世紀初めの段階で、大王(おおきみ)は大和朝廷の大元(おおもと)=「根(ね)」なのである。

であれば、孝昭大王(こうしょうおおきみ・第五代天皇)の「観松彦香殖稲(みまつひこかえしね)の尊(みこと)」の香殖稲(かえしね)の意味が、「根(ね)を返したに通じる」と言う解釈が成り立つ。

黎明期の大和朝廷組織がまだ固まって居ず権力が流動的で、「かえしね」の名が神武朝大王(じんむちょうおおきみ)から大王(おおきみ)の位を簒奪(皇位簒奪)した意味であれば筋が通っている。

詳しくは、小論・【欠史八代(けっしはちだい)と香殖稲(かえしね/根を反す)】を参照下さい。

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日本の伝説リスト】に転載文章です。

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by mmcjiyodan | 2009-01-02 03:40 | Comments(0)  

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