冠位十二階

六百三年(推古十一年)、飛鳥時代の推古天皇(第三十三代大王/おおきみ・女帝)の御世に位階制度である冠位十二階は制定された。

日本で初めてつくられた冠位制度である冠位十二階は、第一回遣隋使派遣の成果だった。

推古天皇は甥の厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子として「万機を摂行させた」とされ、冠位十二階(六百三年)・十七条憲法(六百四年・朝廷貴族規範)を次々に制定して、「法令・組織の整備を行わせた」とされている。

ただしこの改革、当時の最有力者である大連(おおむらじ)・蘇我馬子(そがのうまこ)の支援なくして成立は考えられない所から、ある疑惑も浮かんで来る。

冠位十二階とは、大和朝廷に勤める人の上下関係をはっきりさせる制度で、氏や家柄だけにとらわれずに、能力や功績に応じて徳・仁・礼・信・義・智の六つの冠をそれぞれ大小に分け、十二階とし、冠の色を使い分け、可視的な身分秩序の冠位を与える事を制定した薬猟の当日は、諸臣は冠位十二階の位に従い、服の色は皆それぞれの冠の色と同じで、冠にかんざしを挿して正装して参加した。

ちなみに、一番位の高い大徳(だいとく)は、冠の色は濃紫、服も濃紫、かんざしは金を挿(さ)していた。

次が小徳(しょうとく/薄紫)で順次 ・大仁(だいにん/濃青)・ 小仁(しょうにん/薄青)・ 大礼(だいらい/濃赤)・ 小礼(しょうらい/薄赤)・ 大信(だいしん/濃黄)・ 小信(しょうしん/薄黄)・ 大義(だいぎ/濃白)・ 小義(しょうぎ/薄白)・ 大智(だいち/濃黒)・ 小智 (しょうち/薄黒)と制定されていた。

この冠位十二階の制度は、十七条憲法(朝廷貴族規範)と合わせて飛鳥期大和朝廷内の規律と統制の強化を狙ったものである。

冠位十二階と十七条の憲法制定の謎】に続く。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2009-01-09 16:55 | Comments(0)  

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