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応神大王(おうじんおおきみ/天皇)と仁徳大王(にんとくおおきみ/天皇)の疑惑

第十五代天皇とされる応神大王(おうじんおおきみ)は実在性が濃厚な最古の大王(おおきみ/天皇)とも言われる。

だが、応神大王(おうじんおおきみ)には仁徳大王(にんとくおおきみ/天皇)と同一人説がある。

また、当時の王統の有力者を集合成した虚像説、初期三王朝交代(神武/和邇/葛城)説における征服王朝の神武創始系統者説、河内王朝の始祖説など諸説が入り乱れて完璧な検証には到っていない。

応神大王(おうじんおおきみ・第十五代)・仁徳大王(にんとくおおきみ・第十六代)同一説に付いては事績の一部が父の応神天皇と重複・類似する事から、元来は一人の天皇の事績を二人に分けて記述した」とする見方が学者間に存在するからである。

仁徳大王(にんとくおおきみ)の称号の根拠となっている「竈(かまど)から炊煙の善政」逸話は、大王(おおきみ)に「直接徴税権が無かった」と言う大きな矛盾がある。

仁政として知られる仁徳大王(にんとくおおきみ/天皇)は、「人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていない事に気づいて租税を免除し、その間は倹約の為に宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった」と言う記紀の逸話を持つ大王(おおきみ/天皇)だが、こうした善政の逸話は多分にその人物の神格化の為に記紀(古事記日本書紀)に於いて架空創作された内容である疑いが濃い。

応神大王(おうじんおおきみ/天皇)の崩御の後、後の仁徳大王(にんとくおおきみ/天皇)である仁徳大雀命(おほさざきのみこと)は最も有力と目されていた皇位継承者の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子と互いに皇位を譲り合い、空位が三年間続いたが、「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子の死により即位した」と言う。

日本書紀には仁徳大雀命(おほさざきのみこと・仁徳大王)に皇位を譲る為に「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子が自殺した」と伝えられるが、これとて斜に構えて可能性を探れば「皇位の奪い合い」の真実が、「皇位の譲り合い」として大王(おおきみ/天皇)の「徳」と綺麗に記述しただけなのかも知れない。

応神大王(おうじんおおきみ/天皇)は、宇佐神宮の八幡神として祀られている戦神で、全国の八幡神の主神であり八幡太郎源義家以来の源氏の戦神でもある。

注)初代・神武大王(じんむおおきみ/神話・伝説上の初代天皇)から第二十五代・武烈大王(ぶれつおおきみ/第二十五代天皇)までを「上古天皇」と分類している。


◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2009-01-15 01:01  

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