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新井白石(あらいはくせき)と正徳の治

江戸期に於ける政治改革は、徳川幕府の政権維持の為に、何度もリセット改革をしているので列挙しておくが、政権内部からの改革は、「常に失敗が多い」と言う事実がある事も判る。

最初は徳川綱吉(五代将軍)の治世の後に六代将軍・家宣(いえのぶ)、七代将軍・家継の二代に渡って行われた改革、新井白石の千七百九年~十六年の「正徳の治」である。

新井白石/新井君美(あらいはくせき/あらいきんみ)は、江戸時代中期の知行千石の旗本で、朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学を修めた学者である。

白石の幕閤内での身分は「本丸寄合の無役」で、その進言は一々側用人の間部詮房(まなべあきふさ)が取り次いでいた。

朱子学を重んじる「文治主義」が役職者の乱発で失敗し、幕府財政が極端に逼迫(ひっぱく)する。

「文治主義政策」とは官僚に拠る統治運営策で、官僚の権限が増すと同時にその人数が膨大に成る為、「官僚人件費の負担が増大する」と言うまるで近頃どこかで聞いた「天下りシステム」のような状況だった。

これは、学者の新井白石が自分と肌の合う官僚的な思考者を重用して幕政を改革しようとした事が裏目に出たのだ。

何故なら、一度浪費癖の着いた官僚達にその既得権を手放す気が無いのだから、幕府の財政が困窮しても自分達の「利」だけは必死に守る。

まるで現代日本の官僚政治と批判される政治構造と酷似しているではないか?

新井白石がその治世の拠り所とした「朱子学(儒教)」は己を律する抑制的な教えであるが、それは言わば建前で、本音を別に持った人間は利害を突き詰めると「本音で行動する」からで、儒学者としての「学者のべき論」など通用しないのである。

日本人の理念では、政治を司る事を「祭り事(政り事)」と呼び、治世は神に代わって行う神事だった。

世間ではその時代の治世を評して「**治政の光と影」と評するが、日本人の心を映す坪庭の文化では、植栽木々や石組に「間(ま)」を設けて「影を創らない事」が絶妙の匠(たくみ)の技である。

「間(ま)」とは空(くう)を意味し、一見無駄な様だが「間(ま)」が在ってこそ調和が生まれて全体が生きて来る。

元々日本人の優秀な所は、細部まで神経を行き届かせる心配りの「物創りの才能」で、つまり名人の仕事はそうした影を創らず「調和を為す事」でなければならない。

ましてや祭り事(政り事)は尚の事、全体の調和を重んじ影を創っては成らないものである。

所が、片寄った思考の学者や権力者(政治家)が偏重した「祭り事(政り事)」をすれば、その政策仕事は調和に欠け、乱暴に「影ばかり」を創った駄作となる。

こうした「間(ま)」を持たない治世は僅(わず)かな勝ち組には光をあてるが、多くの人々から光を奪った悪政で、言うなれば「間抜けの不始末」と言うのが実態なのである。

勿論、世の中には学問の真髄を追及する学者は大いに必要で、そこから進歩は生まれる。

しかしながら的(まと)を絞って学問を狭義で深く追及して行く学者が、全体のバランスや世間の実態に目もくれず、己の学説だけで政治を行う愚を犯しては政治改革など成功する訳が無いのである。

まぁ、他の失敗改革と唯一成功した八代将軍・吉宗の「享保の改革」との根本的な違いは、庶民を安心させる事に心を砕いた施策で在ったかどうかで、役人や政治家は上から目線で庶民から絞り取ろうとするのは「持っての外」で、痛みを伴うのが役人や政治家からでは無いから失敗するのである。

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by mmcjiyodan | 2009-02-02 15:58  

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