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奥州平泉・中尊寺(ちゅそんじ)

奥州平泉(岩手県)は、奥州藤原家四代(清衡、基衡、秀衡、泰衡)の本拠地である。

奥州藤原家は、三代に渡って東北地方一帯を支配し、さながら独立国家の様に栄華を極めた。

その名残が、平泉の中尊寺にある。

藤原泰衡は、その四代目に成る筈だった。

それが老獪な頼朝夫婦に上手く騙され、罠に嵌められて滅ぼされてしまった。

その平泉に在る奥州藤原氏三代ゆかりの菩提寺・中尊寺は天台宗東北大本山で、台密修験の奥州(東北)の本拠地としての側面も存在した。

中尊寺は八百五十年(嘉承三年)に慈覚大師によって開かれし後、「藤原氏初代・清衡が再興させた」と伝えられている天台宗の寺で、本堂には開祖・伝教大師(最澄)が比叡山で点火した「不滅の法灯」を分け移した火が燃え続けている。

源頼朝は藤原泰衡を脅して腹違いの弟・源義経討たせ、その後大軍を送って奥州藤原氏を滅ぼした。

藤原泰衡を攻め滅ぼすと、奥州藤原氏の栄華を極めた平泉の金ぴか中尊寺(金色堂)の噂を聞いていた頼朝は、早速奥州藤原氏の隠し金山を探させるが幾ら探しても見つからない。

奥州には、「さぞかし立派な金鉱が在る」と思っていた頼朝は空振りを喰ってガッカリした。

奥州に藤原氏の隠し金山は無く、奥州藤原氏は金を買っていたのだ。

正確に言うと、平泉の太平洋側に在る北上山地には砂金が採れる北上川の支流が相当に在った。

だが、その砂金は独自にアジア当面と交易して高価な木材紫檀や象牙を輸入したりで、中尊寺金色堂などを造営している。

また、金売吉次と言う都の金商人に売り渡したりで藤原清衡、藤原基衛、藤原秀衛の三代に採りつくしていた。

砂金を採り尽した後の藤原家は、アジア当面と交易して手にした高価な木材紫檀や象牙を売り捌(さば)いて、金売り吉次と取引していた。

げんに平安期から現代に到るまで、奥州からはめぼしい金山の存在は確認されては居ず、金の出所は北上支流の砂金だけだった。

中尊寺は天台宗、つまり台密修験の奥州(東北)の本拠地でもある。

そもそも、金鉱であろうが銀・銅・鉄であろうが、元々鉱山の探索や開発従事は修験道の守備範囲で、修験道の流れは賀茂・勘解由小路が帝の手足となる裏・陰陽寮の守備範囲とくれば、源義経を奥州藤原家に逃れさせた「金売り吉次」が、陰陽修験と関わりがあっても不思議ではない。

推測するに、「金売り吉次」こと勘解由小路・吉次の売っていた金の出所は、伊豆の「帝の隠し金山」に違いない。

つまり、帝の軍資金調達に「帝の隠し金山」の産金を預かって奥州藤原氏に売っていたのが勘解由小路・吉次だったのである。


源義経が青年期を藤原秀衡の庇護の下に育ち、長じて兄・源頼朝の追っ手から逃れて奥州平泉に逃げ込んだ経緯の裏に在ったのが、勘解由小路・吉次の奥州藤原氏との縁(えにし)無くしては「辻褄が合わない話し」なのである。

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by mmcjiyodan | 2009-03-11 02:35  

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