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仁科大助(戸隠大助)と戸隠流(とがくしりゅう、とがくれりゅう)忍術

源義経・家臣団に関して、帝(後白河天皇)の手に拠る・勘解由小路党修験黒幕説に付いては多くの状況証拠が存在するが、源義経同様に同じ源氏流の木曽(源)義仲にも、勿論そうした情況証拠が存在する。

源頼朝の命で源範頼・源義経らが京に攻め上るまでにいち早く行動を起こし、平家を都から追い落として都を制圧した木曽(源)義仲にも、実は後白河天皇の手が伸びて、勘解由小路党の仁科大助(戸隠大助)と言う信州(長野県)の戸隠修験武者が軍師として付いていた。

木曽義仲に仕えた仁科大助、通称戸隠大助は修験武術の達人で、平安時代末期に信州(長野県)戸隠山で修験道を学び後に戸隠流(とがくしりゅう、とがくれりゅう)忍術と呼ばれるの修験武術の始祖(異説もある)と伝えられる人物である。

戸隠は、「天岩戸が空を飛び、信州のこの地に落ちた」と言う御多聞に漏れない伝説から付けられた名で、修験信仰は盛んだった。

つまり信州(長野県)は戸隠修験道の本拠地である。

真贋は定かでないが、その仁科大助(戸隠大助)が主(あるじ)とした木曽義仲が源義経に討たれた後は伊賀に逃れ、「伊賀流忍術をも取り入れて完成させた」とされる戸隠修験武術が、「戸隠流(とがくしりゅう、とがくれりゅう)忍術」と呼ばれる「修験武術の流派のひとつに成った」と伝承されているのである。

この事からして、世間で使われている「忍術」なる名称は、修験者が編み出し磨きを掛けた「修験武術の事である」と判る。

木曽義仲の旗揚げの直接的切欠は、皇子・以仁王(もちひとおう)の令旨が届いたからであるが、こう言う木曽義仲と戸隠大助との経緯を辿ると、義仲の成育時点から勘解由小路党を介して帝(後白河天皇)の手が廻って居た事は容易に想像が着く。

挙兵した以仁王(もちひとおう)が平家に討たれ、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護した義仲が、木曽で旗揚げする。

木曽義仲が旗揚げすると、平家は、平清盛の息子・平維盛(たいらのこれもり)と甥の平通盛(たいらのみちもり)を大将に、追討軍十万の大軍勢を編成、越前で両軍は激突する。

しかし、山間部の戦いに慣れた義仲軍に、贅沢な都生活で軟弱公家化していた平氏軍は全く歯が立たず、倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで敗退する。

この山岳戦、後白河上皇の命を受けた勘解由小路吉次の手の者が支援していれば、彼らは山になれた修験山伏で、結果は最初から見えていた。

その勢いで義仲軍は平氏の大軍を破って押し進み二ヵ月後には京に到達、上洛する。

義仲もまた、義経張りの戦上手(いくさじょうず)で、平家は持ち堪える事が出来ず京の都を明け渡してしまう。

この時平家は、都落ちに際して安徳天皇は勿論、後白河上皇など、朝廷諸共を奉じてあくまでも「正規の政権の体裁を整えよう」と謀った。

しかし、勘解由小路党の手の者により、この「平氏の都落ち」から身を隠して逃れた後白河上皇は、「平氏を賊軍」と宣言してしまう。

馴染みの、天皇側と上皇側の二手に分かれての争いの構図が、建前上またも出来上がったのだ。

この後白河上皇(法王)が、平家の都落ちから逃れられたのには、皇統直属の影の組織・勘解由小路党が活躍した。

彼ら勘解由小路党は、平家を嫌っていた。

平家の後白河上皇(法王)に対する考え方が赦せなかったのだ。

千百八十三年(寿永二年)夏、平家が木曾義仲に都を追われ安徳天皇を連れて西国に落ちた時に、土御門(源)通親(つちみかど・みなもとの・みちちか)比叡山に避難した後白河法皇に同行し、平家との訣別を表明した。

その後土御門(源)通親は、木曾義仲の入京と没落などを経て、後白河法皇が新たに立てた新帝後鳥羽天皇の乳母であった藤原(高倉)範子、続いて前摂政松殿師家の姉で木曾義仲の側室(正室説あるも、疑わしい)であった藤原伊子(ふじわらのいし)を側室に迎え、伊子(いし)は通親の子・曹洞宗開祖・道元を生んでいる。

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日本の伝説リスト】に転載文章です。

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by mmcjiyodan | 2009-04-14 18:26  

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