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本地垂迹(ほんちすいじゃく/神仏習合)

五世紀も終わりに近づくと、物部氏蘇我氏が、伝来した仏教の扱いで対立する。

仏教が伝来した時、有力臣王(御門)達の集合体・大和合の国・大和朝廷は大混乱に陥ったのである。

当時の最有力臣王・物部氏は古くからの歴史ある名門で、青銅鋳造術を神格化する銅鐸祭祀(物部神道)を擁する物部一族は当然ながら神道擁護排仏派だった。

反対に新興有力臣王・蘇我氏は言わば少し遅れて来た新興勢力で、宗教的基盤のない蘇我氏は仏教を大和朝廷に導入、統治に利用する事を考える。

つまり当初の蘇我氏による仏教支持はその教義に傾倒した訳ではなく、有り勝ちな事だがあくまでも勢力争いの具である。

その争いの時点で、大連(おおむらじ)・物部尾興(もののべおこし・臣王)と大臣(おおおみ)・蘇我稲目(そがのいなめ・臣王)の力は拮抗していたが、欽明大王(きんめいおおきみ・天皇・第二十九代)が仏教に傾倒し、蘇我氏の勢力が強く成って行く。

この両者の争いは子供の代まで引き継がれ、本格的に飛鳥時代を迎える頃には誓約(うけい)と大和合の国・大和朝廷らしい知恵を働かせる。

即ち、神仏は「呼び名が違うだけで同一」と発想し、習合すれば共存が可能なのである。

本格的に神仏習合が為されたのは七世紀後半の天武大王(おおきみ/天皇)の御世において、大王(大王/大国主)を中心とする国造りが整備されるに伴い、神武朝の氏神であった天照大神を頂点として、それら国造りに重用された神々が民族神へと高められ、その神々に対して仏教側からも敬意を表して格付けを上げるようになった事に神仏習合は始まる。

天上の最高神は「唯一一体」でなければならない。

しかし、日本の大和朝廷が古事記日本書紀で創出した天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と同等な神、陀羅尼神(だらにしん)が、渡来した仏教の中に居た。

本来なら、この世の最高神は一体でなければ成らないからこれは困った。

しかし、そこは誓約(うけい)の知恵で倭の国々(征服部族国家)を統一した大和朝廷とその民ならではの柔軟な知恵が浮かぶ。

世の最高神が一体ならば天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と陀羅尼神(だらにしん)は「呼び方が違うだけで同じ神様である。」と、日本列島の支配者と民はそれを否定する事無く同一の神として受け入れた。

実際には、仏の説いた法を味わって仏法を守護する「護法善神の仲間である」と言う解釈により、「神も仏も呼び名が違うだけで同一」と言う解釈により奈良時代の末期から平安時代にわたり、神に仏教の菩薩号(ぼさつごう)を付すまでに至った。

これを本地垂迹(ほんちすいじゃく)と言い、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)である」としたのである。

それで 天照大神は仏教では大日如来となり、民族神の代表格である八幡神(応神神/天皇)が八幡大菩薩(はちまんだいごさつ)などはその典型的な例である。

この本地垂迹(ほんちすいじゃく/神仏習合)の考え方こそが、誓約(うけい)の精神で多くの渡来部族が大和合した大和民族(日本人)の平和共存、共生イデオロギーの原点とも言うべき知恵だった。

妥協と言えばそれまでだが、天武大王(おおきみ/天皇)の民族神重用に仏教側が生き残りの知恵を絞った訳である。

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by mmcjiyodan | 2009-04-21 20:12  

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