日本人の祖先は何処から来たのか?(二)稲作縄文人
五千年ほど以前に黒潮の流れに乗って渡って来たポリネシア系縄文人に拠って、大陸やトカラ列島経由で先住民にも稲作が伝わって採取狩猟から定住への変化が起こり、各地に縄文人(蝦夷族/エミシ族)の「邑(むら)/屯(たむろ)い」が出来て日本列島は縄文の文化期を迎える。
この先住採取狩猟民とポリネシア系縄文人の混血が、縄文人(蝦夷族)である。
列島各地で縄文土器が発見され、少なくとも縄文人(蝦夷族)に拠って縄文時代の晩期までには水田農耕が「東北地方にまで定着していた」と思われる。
島国の日本列島では先住していた樺太から南下して来た人々と、この海の道(海流)を運ばれて(航海して)来たポリネシア系の人々との第一段階の誓約(うけい)に拠って合流した。
中国大陸南部・雲南省辺りに発祥し朝鮮半島経由でやって来た雲南系・原加羅族人と、そして同じ早い時期に雲南省辺りに発祥した稲作(熱帯ジャポニカ種)が東南アジア経由でポリネシアに伝播していた為に、列島に渡って来たポリネシア系の人々が日本列島に稲作の初期技術をもたらして「縄文人」が成立した。
この縄文期に、古代イスラエルの失われた十支族の一部が列島に移り住んで原住民と民族的に和合し、縄文人を形成した痕跡が存在する。
その縄文人が「ヘブライ文化の一部を定着させた」と言う、未だ解明されない「古代ヘブライ(ユダヤ)伝説」がある。
実はこのヘブライ文化が、六百九十九(文武天皇三年)に役小角(えんのおずぬ)が成立させたの陰陽道に、日本列島の原信仰として取り入れられた形跡がある。
その後、時代が下がった紀元前三世紀頃に、第二段階として同じポリネシア系でも一旦中国大陸に渡り大陸系住民と混血した人種や大陸系の多数の人種が、朝鮮半島経由で海峡を渡り来た者達や海流に乗って南洋諸島からの移り住む者達があり、文明を携えて比較的後発の征服(進入)部族として日本列島にやって来たのである。
後発の征服(進入)部族は、中華文明や列島に合う別の稲作種(温帯ジャポニカ種)を持って渡来した征服部族は、自らが王に成りたい文明に毒された覇権主義者の群れだったのである。
【日本人の祖先は何処から来たのか?(三)倭国と弥生人】に続く。
【日本人の祖先は何処から来たのか?(一)樺太から来た原人】に戻る。
詳しくは小論【日本人の祖先は何処から来たのか?】に飛ぶ。
詳しくは【鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】に飛ぶ。
この記述は、【日本史時代区分大略・一覧表】に掲載しております。
【ABO式血液型の分布状況】に飛ぶ。
【蝦夷族(えみしぞく/原住縄文人)は日本史から抹殺された】に飛ぶ。
◆【性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。
◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。
関連記事
【鵺(ぬえ)・鬼(おに)・土蜘蛛(つちぐも)】に飛ぶ。
【豆まき・「鬼は内」に隠された歴史の真実】に飛ぶ。
【第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ】
<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2009-05-07 04:02