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徳川家康と浄土宗

徳川家康が、駿河・今川家の人質時代の松平竹千代(松平元康)とは「別人では無いか」と推測される理由の一つに家康が門徒となった「仏教の宗派が予測と違う」と言う疑問がある。

松平竹千代(松平元康)は今川人質時代に今川家・軍師の臨済寺・雪斉和尚(臨済宗妙心寺派)から手習いなどの勉学指導を受けている。

雪斉和尚(太原雪斉)の本拠・駿府(静岡)の臨済寺は、臨済宗の宗祖臨済義玄(中国唐の僧)の名に由来する今川氏の菩提寺で、静岡浅間神社の境内から連なる賤機(しずはた)山麓に在って今川館(現在の駿府城)の北西に位置する現在の静岡市葵区大岩にある。

当然ながら、松平竹千代(松平元康)は幼少期に教えを授かった臨済宗妙心寺派の門徒となる筈である。

所が、成人して三河国主になった徳川家康が突然熱心な門徒となったのは、幼少時から慣れ親しんだ臨済宗ではなく法然上人を開祖とする浄土宗で、江戸・芝の増上寺が菩提寺になっている。

確かに三河安祥(安城)以来松平家は浄土宗ではあるが、松平竹千代(松平元康)は幼少期を臨済宗の中で過ごし、雪斉和尚から教えを受けている。

松平家は「先祖からの浄土宗門徒だ」と言ってしまえばそれまでだが、三河国愛知郡の地元で浄土宗に親しんだ別の人物の存在もその可能性を否定出来ない。

存在を「只存在」と記憶する学問には限界が有り、何故それが存在するのか疑問を持たなければ真実は見えて来ない。

これはもしかして、松平元康(徳川家康)の双子入れ替わり説の一つの検証になるのかも知れない重要な要件ではないだろうか。

家康は、徳川家の隆盛に伴い浄土宗総本山・智恩院(ちおいん)に様々な寄進などする一方、智恩院(ちおいん)を京での政治工作の足場(投宿場所)にした位の関係を築いている。

また、家康が晩年駿府に隠居すると、上清水村(現静岡市清水区)に在った引接院・善然寺(浄土宗)を駿府に移転させて手元に置き、そこが城の拡張で敷地内になったので現在の静岡市葵区新通に移設、特に徳川家から朱塗りの門を許されて引接院・善然寺は現在でも「赤門の寺」として有名である。

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皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2009-05-12 00:37  

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