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松平忠直(まつだいらただなお)

松平忠直(まつだいらただなお)は結城秀康(ゆうきひでやす)の嫡男で、越前・松平藩の第二代藩主である。

徳川家康に取っては系図上孫に当たる。

家康の次男・秀康が豊臣秀吉の養子となり、その後結城家に養子に入って結城秀康(ゆうきひでやす)を名乗る。

この結城秀康が千六百一年(慶長六年)に関ヶ原の戦い(しんがりとして関東に残り上杉景勝(うえすぎかげかつ)と直江兼続(なおえかねつぐ)の東進を牽制する)の功により父・家康から越前一国六十八万石を与えられ、国持ち大名と成る。

所が、秀康の嫡男・松平忠直は大坂夏の陣で敵将・真田信繁(幸村)らを討ち取り大坂城一番乗りの戦功を立てながらも、その褒美が大坂城や新しい領地でもなく茶器・「初花肩衝」と従三位参議左近衛権中将への昇進のみであった事に不満を持つ。

その後も二代将軍・徳川秀忠に認められなかった事から次第に幕府に反抗的態度を取るようになり、病を理由に江戸への参勤を怠って正室・勝姫(徳川秀忠の娘)の殺害を企てたり、軍勢を差し向けて家臣を討つなど乱行がエスカレートして行く。

幕府に反抗的態度を取るとなると、如何に将軍の兄の家・越前・松平藩と言えども、秀忠にとっては甥に当たろうと天下に示しが着かない。

千六百二十三年(元和九年)越前国々主・松平忠直は乱行を理由に廃されて豊後大分に配流される。

隠居を命じられた忠直ではあるが、この忠直の行状の伝聞が果たして正しいのかは謎で、正統松平・親藩・御家門(ごかもん)家格の血を継ぐ越前・松平藩の松平忠直と、何故か微妙に存在する二代将軍・徳川秀忠との確執の裏に、公表できない何かが存在していた可能性は否定出来ないのだ。

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by mmcjiyodan | 2009-07-11 18:06  

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