東叡山(とうえいざん)寛永寺と秩父神社(天海=光秀説・その五)

江戸幕府第二代将軍・徳川秀忠は、相談相手として天海僧正を江戸に置く為に、上野山に寺を造営する。

東の比叡山の意味で、「天台宗関東総本山・東叡山(とうえいざん)寛永寺」と言う。

寛永寺の開基(創立者)は第三代将軍・徳川家光、開山(初代住職)は天海僧正、徳川将軍家の菩提寺でもあり徳川歴代将軍十五代の内六人が眠っている。

風水学に長じた天海の助言で、徳川と江戸の守りの位置に、「寛永寺」は在る。

また、日光東照宮の造営に先駆けてテスト造営され、「家康が寄進した」とされる秩父神社の社殿と言うのが今に残されている。

この秩父神社・本殿の、東照宮に負けない豪華な極彩色の彫刻の中に、何故か「桔梗紋」を着けた僧侶の姿が掘り込まれている。

秩父神社の創建は古く、知々夫国造・知々夫彦命(県主)が先祖の八意思兼命を祭った。

秩父妙見宮、妙見社などと呼ばれて、実は関東妙見信仰の中心的役わりを担っていた。

その秩父神社に、天海僧正が東照宮建造の予行演習的社殿を家康の為に造営している処からも、家康と天海の宗教的DNAが密かに山岳(山伏)信仰にある事が推測される。

家康が漢方に通じていた所も、陰陽師修験山伏)の出自(子孫)らしいではないか。

秩父神社の近くにも、慈目寺や明智寺が存在する。
これは多くの謎である。

「明智平」の命名と言い、天海が明智に関わりがあり、しかも秀忠が日光陽明門の「桔梗紋」を容認している所が、明智光秀=天海僧正説の重要な要件として一つの検証になるのかも知れない」と、今日の歴史好き達の想像意欲を掻き立てるのだ。

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by mmcjiyodan | 2009-08-22 15:33 | Comments(0)  

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