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五大老・五奉行

五大老(ごたいろう)とは、豊臣政権末期(文禄年間)に豊臣家の家老(大老)として政務にあたった徳川、前田、上杉、毛利、宇喜多の有力五大名を指した言葉であるが、当時は「五大老」の呼び名は無く「五人御奉行」などと呼ばれていた。

しかしながら、江戸時代にいわゆる五奉行(こちらは主に「五人御年寄」などと呼ばれていた)と職責地位の解釈が混乱した為、後に便宜上「五大老」と呼ばれる様に成ったものである。

正確には、最初の「五大老」は徳川家康(関東に二百五十六万石)、 前田利家前田利長(北陸地方・加賀など八十三万石)、毛利輝元(中国地方に百二十万石)、 宇喜多秀家(中国地方・備前五十七万石)、小早川隆景小早川秀秋(北九州・筑前三十三万石)で、上杉隆景上杉景勝(東北地方・会津百二十万石)は小早川隆景死後に小早川秀秋と入れ替わって就任した。

五奉行(ごぶぎょう)についても当時は「五奉行」などの特定の呼称は存在せず、主に豊臣政権の実務を担う五人程の奉行職にあたる吏僚的人物を指して呼ばれる言葉だが、「年寄」などと呼ばれていたものを後に便宜上「五奉行」と呼ぶ様に成った。

主な五奉行(ごぶぎょう)は、浅野長政(筆頭・甲斐甲府二十二万石)、石田三成(近江佐和山十九万石)、増田長盛(大和郡山二十二万石)、長束正家(近江水口五万石)、前田玄以(丹波亀岡五万石)を指すが、大谷吉継(越前敦賀五万石)や小西行長(肥後宇土二十万石)など多くの者も場合に依っては吏僚職を担当するなど、組織・職制が余りきっちりしたものではなかった。

従って当時を再現するに「五大老の誰々様」や「五奉行の誰々様」は本来史実に合わないが、便宜上が定着しているので不本意ながら使わないと返って混乱するので本書の表記も合わせている。

本来は五人御奉行(五大老)と五~七人程度の御年寄(五奉行)が豊臣政権末期の政権職だったのである。

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皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2009-10-08 13:47  

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