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仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説(三)

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古事記」に拠ると、四世紀・古墳時代の前期の頃、大国小国の「国造(くにのみやつこ)を定めたまい」、また国々の堺、及び、大県(おおあがた)小県(おあがた)の「県主(あがたぬし)を定めたまう。」とある。

大国主(おおくにぬし)=大王(おおきみ)=帝(みかど)、国造(くにのみやつこ)=国主(くにぬし・こくしゅ)=国守(こくしゅ・くにかみ)、県造(あがたのみやっこ)=県主(あがたぬし)、郡造(こおりのみやっこ)=郡領(こおりのみやっこ)などが上げられるが、造(みやつこ)と言う名称から、ただの行政府(庁)ではなく開発庁の役目も負っていた事が窺える。

この古墳時代の前期と言う初期の王朝が、それほど広範囲に支配が及んでいたとは考え難いので、服属させた大和王朝周辺の豪族を県主(あがたぬし)として任命把握し、県主(あがたぬし)によって支配される領域を県(あがた)と呼んだのではないだろうか。

それが国主(くにぬし)達の合意に拠る「倭の並立五王達」の合併で弾みが付き、西日本統一王朝(大和朝廷)へと膨らんだのではないだろうか?

そうなると、大国主は何人居ても不思議ではない。

宇佐岐(ウサギ)氏が実は大国主に出世して宇佐神宮を造営する事もあるだろうし、須佐族の王が大国主を名乗っても良い事になる。

こうした発想を基に、断片的な状況を判断して行くと、古文書・伝承の中に解き明かす手掛かりが浮かんで来るのである。

宇佐神宮の宮司を勤める宇佐氏は、その地の土豪として永く栄えた家柄だが、宇佐岐(ウサギ)氏との関わりが濃厚である。

ここで浮かぶ疑問は、宇佐と須佐で、この二つ、もしかすると「同一ではないのか」と言う疑問である。

或いは宇佐王が神話の世界で三番目の神になる時、実際の宇佐では都合が悪いので「須佐王とした。」とも考えられ、中国(呉の国)式に、「是宇佐(うさです)」を発音すると「シーウサ」であるが、中国独特の巻き舌音では「スゥウサ」に聞こえ、それが呉国系の発音に成ると特に激しいのだ。

須佐王が中国福建省辺りからの呉族系渡来部族の長であれば、「是宇佐/これ(うさ)なり」が福建語中国発音で「シゥウサ・スーウサ」となり、スサノウが是宇佐王(これはうさおうなり・須佐王/須佐之男)と発音されても違和感がない。

そして大国主(大王/おおきみ)が宇佐氏自身であれば、宇佐氏が有力国主(王)の和邇(わに)氏を従え大国主(大王/おおきみ)に成った経緯が「ワニ(鮫?)と因幡の白兎」の伝承であり、それであれば出雲大社と宇佐神宮だけに共通する特異な「二礼、四拍手、一礼」の参拝作法(様式)が残っている理由が説明出来るのである。

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日本の伝説リスト】に転載文章です。

詳しくは、小論・【仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=須佐王(スサノウ)説】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2009-11-26 04:23 | Comments(0)  

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