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奥州・藤原家(清原家)・(一)源氏と安倍氏

奥州藤原家の誕生には、中央から派遣され当時関東から東北に掛けて勢力を維持して来た源氏が大きく関わっている。

清原氏は、東北蝦夷(とうほくえみし)の流れを汲む俘囚長出自の豪族と言われ、同じ俘囚長出自と言われる安倍氏とともに出羽の有力な豪族だった。

つまり、奥州・清原氏は、奥州・安倍氏と同じ蝦夷(エミシ)族長説がある俘囚長の家柄である。

安倍氏相手に前九年の役を始めた源頼義は苦戦を強いられ、活路を見出す為にその安倍氏と並ぶ強大な勢力を持つ清原氏を味方につける策略をめぐらす。

前九年の役当時の奥州・清原氏の総領は清原光頼(きよはらみつより)だったが、源頼義の再三の援軍懇請についに挙兵を決意、弟の清原武則(きよはらたけのり)を総大将とする援軍を派遣する。

しかし、分家の当主・清原武則には奥州で強大な力を誇る安倍氏に取って変わる野心があった。

それで千五十年代に実際には十二年かかった「前九年の役」と呼ばれる奥州(東北)の戦乱において清原家総大将として源頼義方に付き、安倍氏を打ち破って形勢不利だった戦局を一変させ頼義に勝利させている。

この、安倍氏の「反乱を平定した」として、源頼義は朝廷の実力者・藤原氏の助力で戦功を認められ正四位下に昇格、息子達二人も叙任される。

この叙任に於いて朝廷に味方した事に成った清原家の当主・清原武則(実際には総領の弟)は、破格ながら従五位下・鎮守府将軍に任じられ、中央での扱いは兄の清原光頼(きよはらみつより)ではなく弟・清原武則(きよはらたけのり)を奥州鎮守府将軍として任用した。

この時点で、奥州の地元リーダーは安倍家から清原家分家・清原武則(きよはらたけのり)家(後の奥州藤原家)に代わった。

奥州藤原家(清原家)・(二)八幡(はちまん)太郎・源義家】に続く。

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by mmcjiyodan | 2009-12-01 03:15  

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