平賀朝雅(ひらがともまさ)と北条時政の失脚

清和源氏新羅三郎義光流・信濃源氏・平賀朝雅(ひらがともまさ)は、北条時政の後妻・牧の方の娘婿に当るが、この時政の娘は北条政子北条義時姉弟とは腹違いの後妻・牧の方の娘で、牧の方の色香に迷った時政の、そそのかされての企てである。

北条時政が継室(後妻)・牧の方に操られて可愛がった鎌倉幕府御家人・平賀朝雅(ひらがともまさ)は、源義光(新羅三郎)流で源氏門葉として源頼朝に重用されていた平賀義信の次男で母は頼朝の乳母である比企尼(ひきのあま)の三女だった。

北条時政は、「畠山重忠の乱」で畠山氏討伐の翌月には三代将軍・源実朝を廃して朝雅を新たな鎌倉殿(将軍)として擁立しようと画策する。

北条政子・北条義時姉弟には生憎、平氏流の二代執権・北条義時とは違って平賀朝雅(ひらがともまさ)は源氏流で、幕府随一の実力者・北条時政が無理を通せば、朝廷に願い出て征夷大将軍を任ずる資格がある。

しかしそれを許しては権力が平賀家と後妻・牧の方に移り、尼御台・北条政子の政治生命は終わってしまう。

畠山重忠の乱(はたけやましげただのらん)に絡んで平賀朝雅の将軍擁立計画を事前に知った政子・義時姉弟が、とても承服出来ずに猛反対して対立、時政は娘・政子と息子・義時の姉弟に武力で押さえ込まれ伊豆へ隠居させられて完全に失脚してしまう。

その平賀朝雅は、幕府の実権を握った北条義時の命を受けた山内首藤通基(経俊の子)に拠って京都で殺害されている。

何故、北条政子・北条義時姉弟が「そこまでやるのか」と言えば、今まで自分達が為して来た政敵粛清の矛先が今度は確実に自分達姉弟に向かうからである。

それでも、流石(さすが)に政子・義時姉弟には父・時政は殺められず伊豆に幽閉する事にした。

平賀朝雅の件で時政は失脚し、この一件で時政は出家して明盛(法名)と称し実権は政子と義時の姉弟に完全に移っていた。

牧の方と伴に伊豆の国(いずのくに)に幽閉された時政の失脚は、頼朝挙兵から二十五年目の事である。

時政はそれから十年後に、寂しく伊豆で没している。

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by mmcjiyodan | 2009-12-20 06:28 | Comments(0)  

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