松平容保(まつだいらかたもり)

維新の動乱の中で幕府側の主役の一人となる松平容保(まつだいらかたもり)は、二代将軍・秀忠に拠って合津松平藩の初代となった保科正之(ほしなまさゆき)を藩祖とする会津松平藩九代目の藩主である。

松平容保は、尾張藩支藩・美濃(岐阜県)高須藩主・松平義建(まつだいらよしたつ)の子で、千八百四十六年(弘化三年)陸奥(福島県)会津藩主・松平容敬(まつだいらかたたか)の養子となった。

松平容保(まつだいらかたもり)の兄弟には、他家に藩主として養子に入った尾張十四代藩主・徳川慶勝(とくがわよしかつ)、尾張十五代藩主・徳川茂徳(とくがわもちはる)、桑名藩主・松平定敬(まつだいらさだあき)が居り、夫々が幕末期に歴史的役割を担った為に高須四兄弟と併称される。

容保(かたもり)が養子入りして正式に会津藩主の座に着いたのは千八百五十二年(嘉永五年)で、その翌年にはペリーの来航があり、容保は言わば幕末の動乱に時を合わせ最も難局な時に歴史上に登場して来た人物と言える。

幕府ではこのペリー来航以来、安政の大獄を指揮した大老・井伊直弼(いなおすけ)を中心に開国の方針を固めていた。

だが、国内には攘夷論を叫ぶ者も多く、千八百六十年(万延元年)大老・井伊直弼は攘夷党の水戸浪士らに桜田門外の変で暗殺される。

この桜田門外の変をきっかけとして、国内には攘夷か開国かの論争がにわかに高まり、幕府と水戸藩との関係も険悪となったが、この対立を見事に調停したのが松平容保で、それ以来会津藩主・容保は幕閣より重きを置かれるようになった。

しかし開国の方針でいる幕府に対して攘夷派の運動は「倒幕」と言う形で発展して国内は騒然とするばかりとなり、とくに京都では、朝廷の力を利用して倒幕に進もうとする攘夷派と、また幕府を助けて開国に進もうとする佐幕派が互いに暗躍し血生臭い事件が続発した。

この血生臭い事件の続発を受け、千八百六十二年(文久二年)幕府は京都の治安を守る為に、新たに京都守護職と言う役目を設ける事に成り白羽の矢が立ったのが松平容保で、当時二十六歳だった。

しかし当時の幕府は既に昔の面影は無く幕府の力が充てに成らなくなっている時で、容保(かたもり)は役目の重大さを知って京都守護職の就任を固辞し、重臣達の中にも守護職の辞退をすすめる者も多かった。

それでも幕府総裁職・松平慶永(まつだいらよしなが/春嶽)や、將軍後見職・一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)らに、「將軍・家茂(いえもち)は弱年であり援けて欲しい」と頼まれれば、徳川幕府護持は藩祖・保科正之の家訓の手前もあり断わる事も出来なかった。

容保(かたもり)は、千八百六十二年(文久二年)の師走の二十四日、千人ほどの藩兵を率いて京都に入り、治安の任に着く事になったが、この時には既に倒幕派は朝廷の不平公喞らと結び、倒幕運動を進める手はずを整えていた。

容保自身は公武合体派で尊王倒幕派と敵対し、容保は決断を下して薩摩藩と手を結んで御所を封鎖し、この八月十八日の政変では不平公喞の三条実美ら長州派を朝廷から排除して京都から追い出した。

孝明天皇はこの処置を喜ばれて、「不正増長の徒を払いのけた忠誠のほど、深く感じいった」と言う旨の御宸翰(ごしんかん)を容保に賜ったが、この八月十八日の政変をきっかけとして倒幕派は益々結束を固め、千八百六十四年(元治元年)には禁門の変が発生するも容保(かたもり)は長州藩を撃退している。

容保(かたもり)は幕末の京都守護職として旗本、御家人で構成された京都見廻組約二百名と浪士(町人、百姓身分を含む)で構成される会津藩預かりの非正規部隊・壬生浪士組(みぶろうしぐみ・新撰組/しんせんぐみ)約六十名を雇うなど京都の治安と公武合体に力を尽くし、時の考明天皇の厚い信頼を得る。

だが、禁門の変の二年後、千八百六十六年(慶応二年)には公(朝廷)武(幕府)合体のを望んでいた將軍・家茂が二十一歳、続いて孝明天皇も三十六歳と言う若さで急逝し、容保が平和の為に全てを賭けた夢は、ここに空しく潰(つい)える事となった。

松平容保(まつだいらかたもり)と会津落城】に続く。

松平定敬(まつだいらさだあき)】に飛ぶ。
高洲四兄弟(たかすよんきょうだい)と美濃高須藩(たかすはん)】に飛ぶ。

幕末~明治維新・人名と事変の周辺記事なら【クリックリスト】がお薦めです。

関連記事
三百諸侯(さんびゃくしょこう)・江戸時代の大名家】に飛ぶ。
徳川慶喜(とくがわよしのぶ)】に飛ぶ。
松平慶永(まつだいらよしなが/春嶽)】に飛ぶ。
鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)】に飛ぶ。
戊辰戦争(ぼしんせんそう)】に飛ぶ。
新撰組(しんせんぐみ)】に飛ぶ。
池田屋事件(いけだやじけん)】に飛ぶ。

第五巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2010-01-12 14:58 | Comments(0)  

<< 松平容保(まつだいらかたもり)... 方士・徐福と賀茂・葛城氏 >>