土方歳三(ひじかたとしぞう)

局長の近藤勇(こんどういさみ)と伴に新撰組副長として名を残す土方歳三(ひじかたとしぞう)は、武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)に広がる「お大尽(だいじん)」とよばれる多摩の大百姓(豪農)の家系に生まれる。

歳三は、十四歳の時に江戸上野の「松坂屋いとう呉服店(現在の松坂屋上野店)」へ奉公に出、二十四歳に成るまでの十年間を江戸上野で過ごしている。

その後は実家秘伝の「石田散薬」を行商しつつ各地の道場で他流試合を重ね修業を積み、日野の佐藤道場に出稽古に来ていた天然理心流四代目の近藤勇(後の新選組局長)とはこの頃出会ったと推測され、千八百五十九年(安政六年)歳三は天然理心流に正式入門する。

近藤勇と土方歳三が出会った日野の佐藤道場主・佐藤彦五郎は日野宿名主で歳三とは従兄弟であり姉・のぶが嫁いでいる事から歳三も彦五郎宅には良く出入りしていた。

佐藤彦五郎は井上源三郎の兄、井上松五郎の勧めで天然理心流に入門、自宅の一角に佐藤道場を開いていた縁で彦五郎は近藤と義兄弟の契りを結んでおり、天然理心流を支援していた。

歳三もこの佐藤道場で腕を磨き、近藤と土方とは年齢的には六ヵ月ほど土方の方が若いだけだが、近藤が天然理心流宗家と言う事で土方は近藤を立てている。

近藤勇が浪士組に参加すると、歳三も天然理心流剣術宗家・近藤道場(試衛館)の仲間と伴に幕府の征夷大将軍・徳川家茂警護の為の浪士組に応募し、京都へ赴く。

近藤と土方とは、年齢的には六ヵ月ほど土方の方が若いだけだが、近藤が天然理心流宗家と言う事で土方は近藤を立てている。

八月十八日の政変後、壬生浪士組の活躍が認められ新撰組が発足し、その後新見錦が切腹、芹沢鴨などを自らの手で暗殺し、権力を握った近藤勇が局長となった。

土方歳三は副長の地位に就き、局長・近藤勇の右腕として京都治安警護維持にあたった。

新撰組は助勤、監察など職務ごとに系統的な組織作りがなされ、頂点は局長であるが実際の指揮命令は副長の歳三から発したとされる。

千八百六十四年(元治元年)の池田屋事件の際は、半隊を率いて長州土佐藩士が頻繁に出入りしていた四国屋方面を探索して廻ったが空振りに終わり、すぐさま池田屋に取って返し応援に駆けつけたが、直ちに突入せずに池田屋の周りを固め、後から駆けつけた会津藩、桑名藩の兵を池田屋に入れず、新選組ただ一隊の手柄を守った。

池田屋事件の後、副長から総長に据えた山南敬助の脱走切腹事件や御陵衛士に転身した伊東甲子太郎や藤堂平助を暗殺し御陵衛士達を壊滅させるなど土方歳三は隊の規律を守る。

その後土方歳三は近藤と伴に幕臣に取り立てられるが、徳川慶喜が征夷大将軍を辞し大政奉還、王政復古の大号令が発せられるに至り、幕府は事実上崩壊する。

鳥羽・伏見の戦いが始まると、歳三は墨染事件で負傷した局長・近藤勇の代わりに新選組を率いて戦うが、新政府軍の銃撃戦の前に敗北する。

鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府軍が大阪から江戸へ撤退した後、近藤は大久保大和、歳三は内藤隼人と一時名乗って甲斐国に向かうが勝沼の戦いに敗退、流山で再起を謀っていたが新政府軍包囲により局長・近藤が切腹を図るが、歳三が近藤の切腹を止め近藤勇は新政府軍へ出頭する。

局長・近藤の出頭を受け、歳三は江戸へ向かい勝海舟らに直談判し近藤の助命を嘆願したが実現せず、近藤は板橋近辺(現JR板橋駅前に墓所有り)にて処刑(斬首)される。

土方歳三(ひじかたとしぞう)は近藤出頭後、助命嘆願のかたわら新選組を斎藤一(山口二郎)に託して会津へ向かわせ、島田魁ら数名の隊士のみを連れて大鳥圭介らが率いる旧幕府脱走軍と合流する。

江戸城無血開城が成立すると、歳三は江戸を脱走し秋月登之助率いる先鋒軍の参謀を勤め下館・下妻を経て宇都宮城の戦いに勝利、宇都宮城を陥落させるなど転戦する。

その後壬生の戦いに敗走、新政府軍と再度宇都宮で戦った際に足を負傷し、本軍に先立って会津へ護送され三ヶ月ほど療養生活を送り、全快して戦線に復帰した後は会津の防戦に尽力する。

歳三は会津から仙台へ向かい榎本武揚率いる旧幕府海軍と合流、榎本武揚(えのもとたけあき)らと共に仙台折浜(現:宮城県石巻市折浜)を出航、蝦夷地に渡った。

榎本武揚は、途中東北列藩同盟側敗戦濃厚な仙台で同盟軍および大鳥圭介・新撰組(しんせんぐみ)の土方歳三等の旧幕府軍の残党勢力約二千五百名を収容して蝦夷地(北海道)へ向かう。

旧幕府軍は約四千数百の兵力で、ほとんど交戦する事無く藩主が逃げ出した松前藩の箱館五稜郭などを占領し、蝦夷地を平定して蝦夷地支配の追認を求める嘆願書を朝廷に提出する。

新政府がこの蝦夷地支配を認め無い中、旧幕臣は箱館政権を樹立し総裁は入れ札(選挙)に拠って決められ、榎本武揚が総裁となり、土方歳三は陸軍奉行並と成って前線の指揮を担う事と成った。

総裁に就任した榎本はイギリス軍艦に改めて嘆願書を仲介してもらうが、新政府はこれを黙殺し新政府軍を派遣する。

新政府軍が蝦夷地に向かう中、旧幕府軍が江差攻略に成功した夜、天候が急変し風浪に押されて旗艦・開陽は座礁、開陽救出の為に到着した軍艦・回天と輸送艦・神速丸の内神速丸も座礁してしまう。

防衛の要となる軍艦・開陽と輸送艦・神速丸を座礁沈没させて失い制海権を失った旧幕府軍は上陸して来た新政府軍と交戦と成り、土方歳三は馬上で指揮を執ったが、その乱戦の中銃弾に腹部を貫かれて落馬、側近が急いで駆けつけた時にはもう絶命していた。

主戦派の土方歳三が戦死し、榎本武揚らは新政府軍に降伏して戊辰戦争は終結する。

幕臣に取り立てられた近藤勇と土方歳三の夢は、幕臣として徳川家の存続に貢献し大名に出世する事だった。

その夢を、土方歳三は最後まで追って居たのかも知れない。

時の流れには個人の力など知れたもので、時代は変革を望んでいたのだ。

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by mmcjiyodan | 2010-01-23 00:18 | Comments(0)  

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