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行者服(ぎょうじゃふく)・装束と持ち物

修験者の、あのお馴染の「行者服」の出(い)で立ち、中々凝っていて高価そうである。

あれは常識的に考えて「軍事組織か警察組織の制服にしか見えない」が、如何か?

山中でも一目で識別が可能なしろものであるが、活動費や行者服の資金はいったい何処から出ていたのか?

そしてなによりも、修験道の祖・役小角(えんのおづぬ・賀茂小角)が活動し始めたのは、疑惑の天皇・天武天皇(大海人皇子/おおあまのみこ)が即位した時期に重なっている事である。

山伏は「やまぶせ」とも読め、恐らくは身を隠す仕事(影の仕事)を意味している。

その装束と持ち物だが、髪を伸ばし、頭に頭巾(ときん)と呼ばれる多角形の小さな帽子のような物を付け、手には遊環(ゆかん)を特徴とする杖状の法具・錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる一部金属製の杖を持つ。

袈裟(けさ)と、篠懸(すずかけ)と言う麻の法衣を身に纏(まと)い、山中での互いの連絡や合図の為に、ほら貝を加工した楽器や護身用に金剛杖(こんごうづえ)と刀を持つ。

この金剛杖(こんごうづえ)から杖術が生まれ、氏族の武術へと発展して行く事になる。

つまり、武士のルーツ(おおもと)が山伏(修験道師)と言う事に成るのである。

昔は武人の装備を「出(い)で立ち」と言った。

この装束と持ち物には、機能性以外に相手を威圧したり心服させる為のアピール効果の目的が込められている。

いずれにしても、残念ながら人間の見かけなどそう差が有る訳ではないから、衣装や住居など現代にも通じる「こけおどし」が無ければ相手には中々認めては貰えない。

まぁ、衣装もそうだが、政治経済のリーダーも宗教家も、本質は役者である。

役者で無ければ大衆に信用されないから、力を見せつけたり信じさせる為に衣装や舞台装置(建造物)と演出、そして評判には拘(こだわ)る事になる。

それらは全て指導者としての力を心理的に補完する為のものだから衣装を脱げば只の人で、評判を壊して支持者や信者が居なければ個人の力など知れたものである。

そんな訳で、修験者の「行者服」の出(い)で立ちの裏に「表沙汰にし難い理由」があり、宗教(信仰)でカモフラージュして民間の体裁を整えた「公的な秘密組織ではないか」と、我輩は疑ってみた。

元々衣装や装飾は、身分を現す為の言わば「分別標識」である。

童話ではないが、王子と乞食が衣装や装飾を取り替えれば、誰も乞食が「本物の王子だ」とは気が付かない。

わが国でも「馬子にも衣装」と言う諺(ことわざ)がある。

裏返すと、元々大差がないものをそれらしく見せる為に衣装や装飾は存在し、時代に拠っては身分の違うものに、その衣装や装飾の使用は制限されていた。

視点を変えて見ると、一つの可能性が浮かび上がって来た。

「修験密教」と言う独特の信仰・・・・・それは、列島の新支配者達の権力闘争と占領政策だった。


この修験道の「密教・山岳信仰」のルーツこそ、中華帝国を経由し仏教と習合して伝わった遥かヒマラヤ山脈の「夜這いの国々のヒンズー教起源」である事は間違いない。

元々弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典を現代の先入観に当て嵌めて真言密教を理解しようとする所に無理がある。

弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典には、ヒンドゥー教の経典も多数含まれていた事から、真言密教が生まれた。

だからこそヒマラヤ原産の桜木も日本に伝わり、吉野に代表する山岳信仰と桜木は日本でも一体のものと成った。

陰陽師起源の詳しくは、小論【陰陽師=国家諜報機関説】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2010-01-28 03:33 | Comments(0)  

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