「ほっ」と。キャンペーン

歌舞伎(かぶき)

歌舞伎の元祖・出雲阿国は、出雲大社所属の鍛冶方「中村三右衛門の娘」と言われている。

この鍛冶方が曲者で、元々鍛冶師・踏鞴(たたら)師は、山岳信仰の傍(かたわ)ら鉱物探査を受け持つ修験山伏の出身であり、雑賀根来とは深い関わりがある。
正式な鍛冶方は渡来占有金属技術を持つ百姓身分の氏族であるから勿論中村姓を名乗っていて、その娘・阿国の名乗りは「中村国ではないか」と思われる。

また、こうした渡来系金属技術者の別の顔は、陰陽修験の一郭を占める鉱物山師であると同時に諜報活動者である場合が多かった。

勿論、雑賀者の女諜報員・出雲阿国には本来の出自とは違う創作の公式プロフィールが用意される。

一説には、出雲阿国は出雲大社の巫女をしていたが、出雲大社修繕の為に諸国を勧進し、浄財(寄付)を集める手段として巫女姿で神楽舞や念仏踊りを舞い踊る様になり、やがて男装で踊る様になって、「歌舞伎踊りと呼ばれた」とされる。

また一説には「阿国は、河原者であった」とも言われるが定かな事は明らかではなく、今日までその「いずれかが事実」と信じられまさか雑賀の女諜報員とは見抜く者も居ない。

勿論、笛太鼓の音曲に拠る歌と舞踊りの「歌舞の女性」を歌舞伎(かぶぎ)と言うが、かぶきは「傾ぶく」で、常識外れを意味する。

阿国のかぶきは、実を言うとかぶいては居ない。

原点にあったのは、「かぐら(神座・かみくら)踊り」であり、勘解由小路党の「白拍子」衣装の進化形だった。

公家武家社会には馴染みの「白拍子の男装姿」が、後の阿国の時代の「特に庶民」には異様に見え、相当傾ぶいて受け取られたのである。

上流社会の歌舞音曲から見世物小屋の軽業に至るまで、実は修験道武術がルーツであり、その当初の主なる目的は密偵だった。

従って現代歌舞伎に於ける見顕(みあらわ)し、仏倒(ほとけだお)れ、引き抜き、早替り、トンボ(を切る)、戸板倒し、宙乗(ちゅうの)り、荒事(あらごと)などの大技もその修験武術の流れを汲む忍び術の名残と言える。

阿国=中村国であるなら現代歌舞伎の中村屋一門の祖が鍛冶方・中村三右衛門で、出雲阿国流の末裔かも知れない。

歌舞伎(かぶき)の原点はパホーマンス(表現形態)で、「傾(かぶく)く=歌舞伎(かぶき)」に通ずる過程は、とどの詰まり「傾(かぶく)く」が前衛的な感性から発したもので、前衛自体が何かをパホーマンス(表現形態)する事である。

そして御国が人気を博した十八番は、ツンツルテンの衣装を着た「ややこ(こども)踊り」だった。

阿国歌舞伎は人気を博し、世に受け入れられた。

しかし人気故に新興の遊女たちの間に、いち早くより色気の多い模倣が普及し、官能的な歌舞伎が出現して「遊女歌舞伎・女歌舞伎」と呼ばれるように成った。

折りしも幕府は、儒教・儒学(朱子学)を統治の指針に採用した。
そう成ると、いかがわしい出し物「遊女歌舞伎・女歌舞伎」は容認できない。

その為、千六百二十九年(寛永六年・三代将軍・徳川家光の頃)に、本家の阿国の女歌舞伎諸共「風紀を乱す」として女性を舞台に上げる事を、幕府に禁止されてしまった。

やがて、美少年を中心とした「若衆歌舞伎(男色の風俗を増長させるとして禁止)」の時代を経て、「野郎歌舞伎」と呼ばれ、女形(おがた)と呼ばれる女装の男性が出演する現代歌舞伎の形式が定着して行った。

江戸期に入り世の中が安定して来ると、歌舞伎・猿飼などは「河原者」と呼ばれて差別され、士農工商以下の身分へと落とされて行く。

そこには、体制から外れた彼らの「裏の顔を封じ込めよう」と言う、幕府の思惑があったに違い無い。

これは現代でも通じる事だが、「世の中はそう言うものだ」と他人に既成概念を押し付ける者には想像力も進歩も無い。

知識人と称するご都合主義の連中が他人のファッションをしたり顔で「場所柄」とかをとやかく言うが、それを言うなら洋装などせずに紋付袴の上に夫婦別姓で生活しろ。

歌舞伎が良い見本だが、その時代に相当傾(かぶ)いていても十年続けば「新たな文化」と成り、百年続けば「芸術」となる。

つまり文化や芸術、そしてファッションは時代とともに変化して行く物で、個人の概念を押し付けるものではない。

陰間(かげま)と野郎歌舞伎】に続く。

関連記事
出雲阿国】に飛ぶ。
修験道武術】に飛ぶ。

第五巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=【日本史検索データ
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。
未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2010-02-27 02:16 | Comments(0)  

<< 日光東照宮(にっこうとうしょうぐう) 日吉神社(日枝神社)と豊臣秀吉 >>