江戸・徳川幕府の鎖国政策(さこくせいさく)

この「徳川幕府の鎖国政策(さこくせいさく)」 と言う名称については、実態は完全鎖国では無かった為、「徳川幕府の対外政策」と表現すべきとする意見が強い。

江戸幕府・徳川家の幕藩体制は軍事政権で、国外の信仰を許容する事は国民の「思想を刺激し危険」と考えていた。

思想のコントロールは政権安定には必須う要点で、幕府の開祖・徳川家康の神格化(東照権現)も民衆の尊敬を集める為の古来からこの国に伝わる「統治の為」の手法である。

当然ながら幕府は鎖国政策を採り、キリスト教を禁教とし交易も禁止して儒学を奨励し国民の思想を固定化する事に腐心する。

確かに鎖国政策は功を奏し、外部からの思想流入を抑えた事で江戸幕府は二百五十年に余る安定政権と成った。

しかしながら江戸後期に成ると、幕藩体制の自治権が災いして抜け荷(密貿易)は事実上顕在化し、薩摩藩長州藩などの諸藩は抜け荷(密貿易)で肥え太っていた。

鎖国政策故に、ご禁制の抜け荷(密貿易)品には高値が着くと言う米国・禁酒法時代のアルカポネ現象が起こった訳である。

その後、井伊直弼(いいなおすけ)安政の開国に伴い海援隊(かいえんたい)を組織した坂本龍馬は、薩摩藩の援助を得てグラバー商会(英国ジャーディン・マセソン商会代理人)と銃器の取引を開始し藩に銃器などを卸している。

倒幕の原動力と成った薩長の武器は、この開国に伴う武器輸入に拠って購(あがな)われたもので、当時の江戸・徳川幕府にはそうした諸藩の行為を取り締まる力も既に無かった事に成る。

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皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2010-03-07 00:34 | Comments(0)  

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