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藤原北家流(ふじわらほっけりゅう)

藤原北家流(ふじわらほっけりゅう)とは、右大臣藤原不比等(ふじわらのふひと)の次男・藤原房前(ふじわらのふささき)を祖とする家系で、藤原房前(ふじわらのふささき)の邸宅が兄の藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)の邸宅よりも北に位置した事がこの名の由来である。

従って藤原不比等(ふじわらのふひと)の長男・藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)を祖とする家系は、藤原南家(ふじわらなんけ)と言う事に成る。

天武天皇(てんむてんのう/第四十代)没後に、藤原四家(ふじわらしけ)・藤原四兄弟の父・藤原不比等(ふじわらのふひと)が天武帝后妃から即位(践祚・せんそ)した持統天皇(じとうてんのう/第四十一代女帝)の引きで右大臣まで昇った。

その右大臣・藤原不比等(ふじわらのふひと)の四人の息子、藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)、藤原房前(ふじわらのふささき)、藤原宇合(ふじわらのうまかい)、藤原麻呂(ふじわらのまろ)が、時の権力者・長屋王(ながやのおう)を自殺に追い込んで権力奪取に成功、藤原四兄弟が独占気味に政権を運営する。

その藤原四兄弟が夫々に家を興し、智麻呂(むちまろ)が藤原・南家 、房前(ふささき)が藤原・北家、宇合(うまかい)が藤原・式家、麻呂(まろ)が藤原・京家と称されて藤原四家の祖と成った。

藤原北家流(ふじわらほっけりゅう)は藤原四家の中では最も遅い時期に興隆したが、その結果として政争の矢面に立つ事から逃れ藤原四家の中では最も根を拡げる事になる。

藤原北家流(ふじわらほっけりゅう)の祖・藤原房前(ふじわらのふささき)は元正帝朝で他の兄弟に先んじて参議に昇進すると、後に祖父鎌足以来の内臣となり、元正天皇(げんしょうてんのう)の側近として長屋王(ながやのおう)と政権を争った。

聖武帝朝になると、七百二十九年(神亀六年)の長屋王の変(ながやのおうのへん)により南家・藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)が政権を掌握し、藤原四子政権で北家・藤原房前(ふじわらのふささき)も中心人物として政権を主導したが、七百三十七年(天平九年)の天然痘蔓延により他の兄弟とともに四人とも病没してしまう。

その後、藤原北家流(ふじわらほっけりゅう)は、奈良時代後期~平安時代初期にかけて光仁帝朝で房前(ふささき)の子である藤原永手(ふじわらのながて)と藤原魚名(ふじわらのうおな)が左大臣となるが、永手(ながて)の嫡男・家依(いえより)は早逝し、魚名(おな)は氷上川継の乱に連座して失脚した事もあり、南家と式家に押されがちの状態にあった。

しかし平城朝以後、八百七年(大同ニ年)の伊予親王の変で南家が、さらに八百十年(弘仁元年)の薬子の変で式家の勢力が衰えると、嵯峨天皇の信任を得た藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が急速に台頭し他家を圧倒するようになる。

さらに、冬嗣(ふゆつぐ)が文徳天皇(もんとくてんのう)、そして冬嗣(ふゆつぐ)の子・良房(よしふさ)が清和天皇(せいわてんのう/清和源氏の始祖)、そしてその養子(甥)・基経(もとつね)が朱雀天皇(すざくてんのう)と村上天皇(むらかみてんのう)の、それぞれの外祖父と成って北家嫡流が皇統三代に渡り外戚の地位を保ち続けた事が、同家の優位を確固たるものにした。

この経緯が以後の、「北家嫡流 = 藤氏長者 = 摂政関白」と言う図式を決定づける事になり、この藤原北家系による「摂関政治」が後の藤原道長・頼通父子の時代に全盛を極める事となる。

その後、藤原北家流(ふじわらほっけりゅう)の子孫は五摂家に別れたが、公家の最高家格は引き続きこの五家が独占した為、他の藤原姓の堂上各家もほとんどが北家の後裔である。

尚、この堂上家(とうしょうけ、どうじょうけ)と言う格式であるが、天皇の御殿である清涼殿(平安京の内裏における殿舎)の南廂・殿上間に昇殿出来る資格が世襲された公家の家格の事で、殿上人(てんじょうびと/うえびと)とも呼ばれる。

また、藤原北家流(ふじわらほっけりゅう)の派生氏族は公家ばかりではなく、武家の道兼流・宇都宮氏・小田氏、長家流・那須氏、勧修寺流・上杉氏、魚名山蔭流・伊達氏利仁流斎藤氏加藤氏、秀郷流・奥州藤原氏・藤姓足利氏・小山氏・結城氏・佐野氏・小野崎氏など、主に関東・北陸・東北に勢力基盤をもった多くの氏族(武家)が藤原北家の末裔と称した。

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by mmcjiyodan | 2010-03-20 00:27  

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