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藤原道長(ふじわらのみちなが)(一)

平安中期、九百年代の後半に中央政界で権力を振るったのが、藤原不比等(ふじわらのふひと)の系流の一つで最後に中央での勢力を築いた藤原北家流・九条流の摂政・太政大臣・藤原道長(ふじわらのみちなが)である。

平安中期の藤原北家流を中心とした摂関政治(せっかんせいじ)に於ける熾烈な権力闘争の相手は血を分けた兄弟であり、その時代の藤原家の最高実力者が娘を皇統に嫁す事で女系を介して天皇の外祖父として結び付き、皇統を左右する図式が続いていた。
その中でも日本史上途出して居たのが、執念で後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の外祖父となった藤原道長(ふじわらのみちなが)だった。

九百三十五~九年に坂東(関東)一円で起こった平将門の乱や瀬戸内で一円で起こった藤原純友の乱を総称する承平天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱が終わって凡そ三十年余り後、平安時代中期を代表する公家・藤原道長(ふじわらのみちなが)は藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の五男(四男説あり)としこの世に生を受けている。

藤原道長(ふじわらのみちなが)の祖父の藤原師輔(ふじわらのもろすけ)は、藤原北家の藤原忠平(ふじわらのただひら)の次男だったが、村上天皇の治世を右大臣として支えた実力者で、娘の中宮・安子が後の冷泉天皇(六十三代)、円融天皇(六十四代)を生んだ事で外戚として立場を強化した。

この為に師輔(もろすけ)は、藤原忠平(ふじわらのただひら)嫡流である兄の藤原実頼(ふじわらのさねより)の家系・藤原北家流・小野宮流よりも優位に立ち、中央の摂関位を継承する家系となる。
摂政・太政大臣だった兄の藤原実頼(ふじわらのさねより)が死去すると師輔(もろすけ)の長男の藤原伊尹(ふじわらのこれただ/これまさ)が摂政となるが、二年後に急死してしまう。

嫡男・藤原伊尹(ふじわらのこれただ)の後継を、次男の藤原兼通(ふじわらのかねみち)と三男で道長(みちなが)の父・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)が争うが、結局兼通(かねみち)に関白が宣下される。

関白・藤原兼通(ふじわらのかねみち)と弟・兼家(かねいえ)は不仲で、兄・兼通(かねみち)は病に倒れて病死するが、死ぬ寸前に兼家を降格させるなど兼家(かねいえ)は不遇の時期を過ごす事に成る。

関白・藤原兼通(ふじわらのかねみち)の最後の推挙により、後継には小野宮流の藤原実頼(ふじわらのさねより)の次男・藤原頼忠(ふじわらのよりただ)が関白となったが、その頼忠(よりただ)が兼家(かねいえ)を右大臣に引き上げてやり、父・兼家(かねいえ)は漸く不遇の時期を脱した。

九百八十三年(永観二年)、円融天皇(六十四代)は花山天皇(六十五代・冷泉天皇の皇子)に譲位し、東宮(皇太子)には詮子(藤原兼家の次女)の生んだ懐仁親王(かねひとしんのう)が立てられる。

懐仁親王(かねひとしんのう)の早期の即位を望んだ兼家(かねいえ)は、三年後に兼家と三男の道兼が中心となって策謀を仕組み、花山天皇を唆(だま)して内裏(だいり)から連れ出し出家退位させてしまう。

速やかに幼い懐仁親王(かねひとしんのう)が即位(践祚/せんそ)して一条天皇(六十六代)となり、外祖父の兼家(かねいえ)は摂政に任じられ、息子達を急速に昇進させ始める。

父の藤原兼家(ふじわらのかねいえ)が摂政になり権力を握ると道長(みちなが)も従三位に叙し、左京大夫を経て権中納言となるが、道長(みちなが)は五男であり道隆(みちたか)、道兼(みちかね)と言う有力な兄が居た為に、始めはさほど目立たない存在だった。

所が、父・兼家(かねいえ)の死後に摂関となった、その道隆(みちたか)、道兼(みちかね)と言う有力な兄達二人が伝染病により相次いで病没してしまう。

当時、道隆(みちたか)の嫡男・藤原伊周(ふじわらこれちか)は、道長(みちなが)を凌いで内大臣に任じられ父の後継者に擬されていた。

伊周(これちか)は自らが関白たらんと欲し一条天皇の意中も伊周(これちか)に在ったが、道長(みちなが)は自らが摂関になろうとする。

一条天皇の母后・東三条院(詮子)はかねてより弟の道長(みちなが)を愛し、逆に甥の伊周(これちか)を疎んじていた為に道長(みちなが)の登用を強く推したが、天皇が考えを変えないため涙を流して固く請い迫まり、遂に一条天皇も母后に推されるかたちで道長(みちなが)の登用を決めた。

藤原道長(ふじわらのみちなが)(二)】に続く。

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by mmcjiyodan | 2010-04-11 01:36  

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