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池田勝正(いけだかつまさ)

池田勝正(いけだかつまさ)の摂津池田氏は同じ織田信長の織田家家臣であるが、信長の乳母の子として池田氏を名乗る池田恒興(いけだつねおき)池田輝政(いけだてるまさ)の池田氏とは出自が違う。

摂津池田氏は、千五百六十八年(永禄十一年)に織田信長が足利義昭を擁して上洛して来ると、信長の圧倒的な軍事力の前に摂津の他の豪族が降伏して行く中で池田勝正(いけだかつまさ)は抵抗したが、最後は降服せざるを得なかった。

しかし信長は勝正(かつまさ)の能力を認め、抵抗に対するお咎め立てをしないどころか摂津国の有力豪族である池田氏などを臣下に置いて摂津国支配の安定を図ろうと考え、六万石に加増の上で領地安堵の処置をする。

信長はこの時、勝正・伊丹親興・和田惟政の三名に摂津支配を任せた為、勝正らは「摂津の三守護」と称され、池田勝正(いけだかつまさ)は、信長の働きかけで室町幕府から摂津守護に任じられ、伊丹親興・和田惟政を配下とし摂津国を治める。

その摂津国池田城主である摂津池田家の家臣・荒木信濃守義村(異説として荒木高村)の嫡男・荒木村重(あらきむらしげ)が勝正(かつまさ)の継嗣・池田長正(いけだながまさ)の娘を娶り、村重(むらしげ)は一族衆となる。

婚姻に拠り摂津池田家の一族となった荒木村重(あらきむらしげ)の先祖は、あの平将門の乱を平定した藤原北家魚名流・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)である。

この荒木村重(あらきむらしげ)が、明智光秀本能寺の変より四年前に織田信長に反逆した武将として、また利休七哲のひとりとして有名な男である。

戦国時代から安土桃山時代の武将・荒木村重(あらきむらしげ)は、幼名を十二郎、のち弥介(または弥助)と言う村重(むらしげ)は、千五百三十五年(天文四年)生まれと言うから信長より一歳年下である。

荒木村重(あらきむらしげ)は、三好三人衆の調略にのり池田知正とともに三好家方に寝返り、知正に主君・池田勝正(いけだかつまさ)を池田城から追放させる混乱に乗じ池田家を掌握する。

その時の荒木村重(あらきむらしげ)の軍略は、信長に凄いと唸らせるほど見事で文句無しの軍略だった。

その池田家の政変後、池田勝正(いけだかつまさ)は三好三人衆についた村重(むらしげ)らの押さえとして、信長より原田城主に任じられ細川藤孝らとともに各地を転戦したが、荒木村重が信長家臣になると池田に戻り隠居した。

荒木村重(あらきむらしげ)】に続く。

★主な安土桃山時代の大名家・代表的当主など一覧は【安土桃山時代(あづちももやまじだい)】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2010-04-27 00:43  

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