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臣籍降下(しんせきこうか)

帝の子(親王)は代々多数存在し世継ぎは皇太子を称して次の帝となる事に備えるが、そこから外れた者は帝の代が代われば王族(皇族)と成って「王」を名乗る。

しかし、そう何代も「王」を名乗っていつまでも「王族(皇族)」と言う訳には行かないから臣籍降下(しんせきこうか)をする事に成るのだが、その時に賜姓(しせい/たまわりせい)をして「賜姓降下(しせいこうか)」をする慣わしがある。

王族(皇族)としての賜姓(しせい/たまわりせい)で有名なのは葛城王(かつらぎおう)、賜姓降下(しせいこうか)で有名なのは桓武帝・高望王(たかもちおう)流れの「平氏流」、歴代天皇が皇子に賜姓(しせい)した「源氏流」がある。

源氏流に関しては、嵯峨源氏、仁明源氏、文徳源氏、清和源氏、陽成源氏、光孝源氏、宇多源氏、醍醐源氏、村上源氏、冷泉源氏、花山源氏、三条源氏、後三条源氏、後白河源氏、順徳源氏、後嵯峨源氏、後深草源氏、正親町源氏などがある。

中でも嵯峨源氏流には、現代に於いて人口百十五万を数え五位にランクインする渡辺氏(わたなべうじ)の摂津・渡辺綱(わたなべのつな/源頼光四天王)、肥前・松浦氏(まつらうじ)、筑後・蒲池氏(かまちうじ)、常陸・源護(みなもとのまもる/将門の乱鎮圧)などの有名どころを排出している。

武門として名を成した清和源氏流は、初代・経基(つねもと)流を始めとして清和(嵯峨)源氏、清和(摂津)源氏、清和(河内)源氏など清和源氏だけで二十一流がある。

その清和源氏よりも格が高いのが村上源氏・師房(もろふさ)流で、村上帝・第七皇子の具平親王の子で藤原頼通の猶子となった右大臣・源師房(みなもとのもろふさ)に発し、鎌倉期の源通親(みなもとのみちちか/土御門通親)南北朝期北畠親房(きたばたけちかふさ)、幕末の討幕派公家・岩倉具視(いわくらともみ)も村上源氏の支流である。

尚、播磨国赤松を名字の地とする赤松氏もまた村上源氏季房流と自称し、名和長年も村上源氏雅兼流と自称している。

更に村上源氏と自称する赤松満則流を、奥三河の作手城主(奥平氏)の奥平貞能・奥平信昌父子も称している。

瀬戸内海で活動した村上水軍は、河内源氏の庶流・信濃村上氏を起源とする説、平安時代に活躍した村上為国の弟・定国説、そして村上源氏説がある。

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by mmcjiyodan | 2010-05-20 00:14  

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