身分制度と五パーセントの悪魔の犠牲者

為政者が統治を安定する為の手法として、「出世」を目標にさせて忠誠心を醸成させる事が身分制度の目的である。

しかしそれだけでなく、「自分より不幸な存在が在る。」と言う比較感を創出する事で不満を逸らせる狙いが、身分制度の陰に隠されている。

他国の事例でもほとんど同じだが、こうした隷属民の比率は五パーセントから十パーセント以内の少数である。

何故ならば、この賤民(せんみん)の存在が、被統治者の不満をかわす為の物で、「統治の安定」と言う政治的効果を狙ったものだからである。

狙いを明確にすると、惨めな身分の下層階級を作り出して大多数の比重を占める一般民衆の「不満と抵抗をそらす役割」を果たさせるのが目的である。

つまり数パーセントを犠牲者にして、一般民衆を自分達よりも下の身分の者が居る事で納得させ、武士支配を容易にするのが狙いである。

従って、この身分差別制度は「狙いが先に在ったもの」で、その差別を始めた被差別側には、被差別の強制世襲まで負わされる負い目や必然性などまったく無い。

大和朝廷は成立後、中華文明の身分制度を模倣採用した。

つまり、「中世」に制定された「律令制(りつりょうせい)」に於いて、同じ下層階級の非支配者層の民は「良民(常民)」と「非良民」に分けられていた。

支配階級の氏姓制度と下層階級の「良民(常民)」と「非良民(賤民・せんみん、奴婢・ぬひ)」の組み合わせで、身分別の居住エリアの分類が始まり、それぞれの居住地区が「本所と散所」に分離され、「散所(さんじょ)」に住む「非良民」と言う不当な身分の既存化・固定化が促進された。

此処で言う「中世」とは、おおむね平安時代終わり頃の十一~十二世紀の事である。

当初、身分制度の最下級に在ったのが被征服部族である縄文人(蝦夷族/えみしぞく)の抵抗勢力俘囚(ふじゅう/奴婢身分・ぬひみぶん)だった。

平安末期から戦国時代末期の十六世紀まで、この身分制度は多少の変遷を伴いながら実質的に続いた。

この時代、戦乱や飢饉が繰り返される中で、所有地または耕作地を失い生活ができない人々を排出した。

その中には荘園の免税地(散所)などに住み、公家や寺社に使われて労役奉仕をする事で生き長らえる道を選択した為に、その居住区が発生して「非良民・賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)」の身分が定着した。

賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)身分は、我が国日本では律令制(りつりょうせい)の解釈が完全消滅する江戸末期まで、お隣の朝鮮半島では両班(ヤンバン・特権貴族階級)制度が解消される大韓帝国成立まで、人間性を認められず「家畜身分」だった。

人間は残酷な生き物で、自分が安心する為に「見下す相手」を作りたがる。

それは現代の学校でも企業でも同じ事だが、多くの無知な者が、必ず虐めたり見下したりする被害者を作りたがる。

根にあるのは、生きる事に対する自信の無さ、「不安感」である。

こうした民衆心理を、巧みに利用したのが卑劣で不当な江戸期の身分制度だった。

子供の社会で起こる「虐(いじ)め問題」も、根にあるのは虐(いじ)める側の「不安感」である。

本来、その「救い」となるべきが「信仰の教え」の筈(はず)であるが、どう言う訳か宗教指導者は、信者を増やす為に不安心理を煽りたてる。

つまり、この差別願望と信仰は、精神的には究極の所で「同根」であり、いずれも目的は自分を安心させる為のものである。

この不合理な身分制度は、、千八百七十一年(明治四年)明治新政府発布の戸籍法に基づいて、翌明治五年に編製された壬申戸籍 (じんしんこせき)が発効され言われ無き差別は建前上なくなったが、その後も社会的に消滅するには尚時間が必要だったのである。

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by mmcjiyodan | 2010-07-22 01:26 | Comments(0)  

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