江戸城大奥女中(えどじょうおおおくじょちゅう)

江戸城大奥の体制を確立したのは、従三位春日局を朝廷から授かった斉藤福である。

当初の江戸城は、大奥は存在したものの政治を行う場である「表」と、城主とその家族の私的な生活の場である「奥」の境界が存在していなかった。

しかし将軍家は、皇居内裏女官(こうきょだいりにょかん)同様に奥女中から「妾(側室)」を選ぶしきたりが在る独占のハーレム状態で、将軍次第で「妾(側室)」に代わる存在でも在った為、奥女中は寵愛の有無に関わらずお定め上は最初からお召し自由の将軍の妾妻である。

将軍の側室は基本的に将軍付き中臈(ちゅうろう)、イレギラーで御台付き中臈(御台付き奥女中)からも選ばれる。

将軍が目に適った者の名をお目見え以上の奥女中で老女とも呼ばれる御年寄に告げると、その日の夕刻にはその奥女中が寝間の準備をして寝所である「御小座敷」に待機していた。

御台所付の中臈が将軍の目に適った場合は、将軍付御年寄が御台所付御年寄に掛け合ってお召しとなり、奥女中の寝間の準備が行なわれた。

寝間を終えた中臈は「お手つき」と呼ばれ、懐妊して女子を出産すれば「お腹様」(おはらさま)、男子を出産すれば「お部屋様(おへやさま)」となり、漸(ようやく)正式な側室となる。

さらに我が子が世子となり、やがて将軍ともなれば、落飾した側室でも将軍生母として尼御台(あまみだい、落飾した御台所)をはるかに凌ぐ絶大な権威と権力を持ち得た。

当然ながら、将軍のお手が付けば奥女中(御殿女中)から将軍継承者が産まれる事が在る。

万が一他の男との子では血統至上主義の将軍家が成り立たないから、大奥は男子禁制を引く事になる。

事は将軍家の継承問題に関わる大事である事から、三代将軍・徳川家光の乳母・春日局によって組織的な整備がなされて行き現在知られる形の大奥に整えられて行った。

本丸御殿は、表、中奥、大奥に区分され、この内、表と中奥は一続きの御殿で在ったが、大奥は表・中奥御殿とは切り離されており、銅塀で仕切られていた。

中奥と大奥を繋ぐ唯一の廊下が御鈴廊下で、将軍が大奥へ出入りする際に鈴のついた紐を引いて鈴を鳴らして合図を送り、出入り口である「御錠口」の開錠をさせていた事からこの名が付いた。

いずれにしても本丸御殿大奥は、お手つきの有無に関わらず形式上は千人に及ぶ将軍の配偶者の居住区と言う事に成る。

つまり成熟し、発情期に入った女性が千人からの大勢で将軍のお情け(性交)を待っているのが大奥である。

正直、発想を女性側に変えれば奥女中は永久出仕の建前制度で、将軍からお情け(性交)を受けない奥女中の方が長期に可愛そうな男日照りである。

性的本能は誰にも存在するから、性交する自由を奪って奥女中に忍耐を強いるのは人間的に遥かに残酷な事かも知れない。

この男子禁制の大奥、確かに将軍のお種を確定するに充分な制度だった。

しかしこの時はまだ、虚弱精子劣性遺伝と言う氏族血統至上主義最大の難敵が存在する事を春日局は知る由も無かったのである。

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by mmcjiyodan | 2010-07-25 01:01 | Comments(0)  

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