村上水軍(むらかみすいぐん)(二)

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村上水軍の一家・能島村上氏(野島氏)が本拠地とした能島(のしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、伯方島と大島との間の宮窪瀬戸、鵜島の南西に位置する周囲七百二十メートル、面積約2.5平方キロメートルの小島だった。

村上水軍の一家・来島水軍(来島村上氏)が本拠地とした来島(くるしま)は、愛媛県今治市の来島海峡の西側、波止浜湾の入り口、四国から沖合い二百四十メートルに位置する面積0.04平方キロメートルの有人島である。

村上水軍の一家・因島水軍(因島村上氏)が本拠地とした因島(いんのしま)は、現在の広島県尾道市にある面積33.73平方キロメートルの島で、能島(のしま)、来島(くるしま)拠りは大きい島である。

戦国期、能島村上氏は伊予国(愛媛県)の有力豪族・河野氏と友好関係を持っていたが、臣従はしなかった。

来島村上氏は河野氏に臣従し、村上通康は河野姓を名乗る事を許され、因島村上氏は毛利氏に臣従した。

まぁ地勢的に、村上水軍の本拠地・瀬戸内海が四国伊予・河野氏と中国・安芸・毛利氏の勢力の狭間に在って、どちらに臣従するかは生き残りの為の重要な判断だったに違いない。

その後は中国地方に勢力を張る毛利水軍の一翼を担い、千五百五十五年(弘治元年)の厳島の戦い、千五百六十一年(永禄四年)の豊前・簑島合戦、千五百六十七年(永禄十年)からの毛利氏の伊予出兵、千五百七十六年(天正四年)の第一次木津川口の戦いなどが知られている。

村上水軍は真言宗信徒で在ったが、一向宗 と織田信長の全面戦争「石山合戦」の折は、毛利氏の意向で信長軍団に包囲された一向宗・石山本願寺を海上支援した。

これに手を焼いた織田信長は、鉄甲船(てっこうせん)を建造して村上水軍に対抗し、千五百七十八年(天正六年)に漸く村上水軍を撃破し石山本願寺を講和させている。

千五百八十五年(天正十三年)豊臣秀吉に拠る四国平定の後の、千五百八十八年(天正十六年)に豊臣秀吉が海賊禁止令を出すと、村上水軍は従来のような活動が不可能となり、海賊衆としての活動から撤退を余儀なくされる。

来島村上氏は早くから豊臣秀吉についた為に独立大名とされるも、江戸期に豊後国の玖珠郡に転封され、森藩として完全に海から遠ざけられたが大名として生き残った。

他の二家は因島村上氏は毛利氏の家臣、能島村上氏は小早川氏の家臣となった後、江戸期には因島村上氏は長州藩の船手組となって周防国三田尻を根拠地とし、能島村上氏は毛利家から周防大島を与えられて臣従し、江戸期には因島村上氏とともに長州藩船手組となった。

能島(のしま)には能島水軍(野島氏)が水軍城を設けたが、江戸時代以降廃城となり、現在は愛媛県今治市(旧:越智郡宮窪町)に属する無人島である。

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by mmcjiyodan | 2010-07-31 02:48 | Comments(0)  

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