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日清戦争(二)対清帝国交渉

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明治政府は、千八百六十八年(明治二年)に始まった難航する朝鮮・李氏王朝との国交問題解決の為にも、まず朝鮮の宗主国である清帝国と対等の国交条約を結び、その冊封関係を利用して朝鮮と交渉する方針を立てる。

清帝国の直隷総督・李鴻章との間で交渉を開始し、使節の交換と領事駐在および限定的な領事裁判権、最恵国待遇および関税協定権を相互に認めると言う平等条約・清修好条規を千八百七十一年(明治四年)に締結した。

清修好条規中には、当時両国が置かれていた欧米列強による脅威を前提に相互扶助を誓約する「第二条・両国好みを通ぜし上は---若し他国より不公及び軽藐する事有る時、其の知らせを為さば、何れも互いに相助け」との条文も約されていた。

しかし領土問題での懸案、琉球王国の日清両属と言う解決すべき問題が在った。

琉球王国は明帝国(千六百四十四年滅亡)の冊封を受け東アジア諸国との交易により繁栄していたが、千六百九年に薩摩藩の島津氏による侵攻を受け、奄美諸島を薩摩藩の領土として割譲のうえ琉球は事実上薩摩藩の属国と成った。

しかし琉球王国は、朝貢貿易の利益の為に形式上は明帝国とその後を継ぐ清帝国との間の冊封は継続され、結果、日本(江戸幕府)と中華帝国への両属とする変則体制が幕末まで続いて居た。

千八百七十一年(明治四年)の廃藩置県により琉球王国を鹿児島県に一応編入し、翌千八百七十二年(明治五年)には所謂(いわゆる)「琉球処分」として琉球藩を設置し元琉球国王を藩王として華族に列する冊封詔書が授けられも、琉球の日清両属の状態はその後も続いていた。

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by mmcjiyodan | 2010-08-09 22:41  

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