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日清戦争(六)琉球処分と分島改約案

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明治政府は千八百七十二年(明治五年)所謂(いわゆる)「琉球処分」を行い琉球藩を沖縄県とする。

明治政府は琉球王・尚泰の東京移住を命じるが、琉球内ではそれを不服とし明治政府に様々な嘆願を行い、また清に救援を求める人々も在った。


千八百七十九年(明治十二年)、清帝国は琉球との冊封関係の回復にむけ積極的になり、日清両国の関係は悪化する。

おりしも世界巡遊中の前合衆国大統領ユリシーズ・グラントが明治天皇との会見で西欧列強の介入を防ぐ為の日清両国の譲歩を助言した事もあり、千八百八十年(明治十三年)北京で日清の交渉が行われた。

この時日本は沖縄本島を日本領とし八重山諸島と宮古島を中国領とし、日清修好条規に中国内での日本人の通商権を追加する案(分島改約案)を提示し一旦はまとまる。

しかし元来、清帝国は二島の領有を望まず、冊封関係維持の為に二島を琉球に返還し琉球王国再興を求めており、分島に対する琉球人の反対もあり清帝国とは調印に至らなかった。

この琉球問題の決裂と日本の台湾への野心の疑いから清帝国側ではこの後対日強硬論が唱えられるに至る。

この結果、領有権問題の解決は千八百八十四年(明治十八年)の日清戦争後まで持ち込まれる事になった。

詳しくは・小論【琉球(沖縄)史概略】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2010-08-13 18:48 | Comments(0)  

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