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日清戦争(七)壬午事変(じんごじへん)と甲申政変(こうしんせいへん)

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修好条規締約後の朝鮮国では日本の支援による兵制改革で軍人が失職し、残った旧式軍隊にも給与が遅配、開国後の貿易で日本への米輸出による米価高騰と食糧危機が民衆を圧迫していた。

そうした千八百八十二年、失脚していた興宣大院君(フンソンデウォングン)らの煽動を受けて、旧式軍の兵士と市民が漢城で蜂起し朝鮮国で壬午事変(じんごじへん)が起こる。

旧式軍の兵士と市民が漢城で蜂起して新編成の「別技軍」の日本人教官らを殺害し日本公使館を包囲、翌日には政府と王宮を襲い領議政(ヨンイジョン/首相)と李高宗(イーコジョン/李氏朝第二十六代)王妃・閔(ミン)妃の一族・閔(ミン)氏系高官らを殺害、公使館が焼失し(公使自ら火を放つ)、日本人十数人が殺害される事態となった。

この壬午事変(じんごじへん)に日清両国が出兵、日本から軍を率いた花房義質公使が派遣され、朝鮮国と済物浦(チェムルポ/仁川の旧称)条約を調印し、日本人被害者への補償五万円、公使館の損害と日本の出兵への補填金五十万円と公使館警護の為に若干の軍隊の漢城駐留などを取り決めた。

壬午事変(じんごじへん)後、清帝国は河南省陳州府項城県の名家出身の軍人・袁世凱(ヤンシカイ)らが指揮する軍隊を朝鮮に駐留させ、軍隊訓練や政府顧問を置くなど朝鮮国の軍事や内政に積極的に関与した。

袁世凱(ヤンシカイ)は、興宣大院君(フンソンデウォングン)を天津へ連れ出し幽閉するなど早くも能力を発揮して清帝国軍部で力を着け、北洋軍閥を指揮して清帝国にも発言権を持つ様に成って行く。

千八百八十四年、ベトナムをめぐる清帝国とフランスとの対立で朝鮮駐留清軍の半数が帰還し、事変後政治的に後退していた日本は竹添進一郎公使を漢城に帰任させ、済物浦(チェムルポ/さいもっぽ)条約の未払い分四十万円の返上を申し出させた。

開化派(開化党)は日本公使・竹添進一郎の支援を利用して事大派政権打倒を計画して甲申政変(こうしんせいへん)を起こし、日本公使・竹添は警護兵百数十名を連れて朝鮮王宮に国王保護の名目で参内して開化派を支援しており、重大な内政干渉だった。

朝鮮国近代化を急ぐ一環で在った郵政局の開局祝賀宴に際し事大派要人を襲撃、その後王宮内で六人の大臣を殺害するなどして新しい政権を発足させたが、翌日に清帝国・袁世凱(ヤンシカイ)の武力介入により失敗する。

また、日本公使・竹添が率いる警護兵百数十名が清帝国軍との間に王宮で戦闘をし双方に死者を出したが、これは近代に於ける日中間の最初の武力衝突となる。

この時またも公使館が全焼し日本人に三十数名の犠牲者を出し、日本国内では翌年に福沢諭吉が「脱亜論」を時事新報に執筆するなど、日本の国内世論に於いても朝鮮、清両国への反感が高まって行った。

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by mmcjiyodan | 2010-08-14 00:34  

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