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日清戦争(九)開戦

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甲午農民戦争の停戦後、朝鮮政府は日清両軍の撤兵を要請するも両軍ともに受け入れず、伊藤内閣は停戦後の六月半ば朝鮮国の内政改革を日清共同で進める案を提唱する。

清帝国が拒否すれば日本単独で指導すると言う方針を閣議決定し清帝国に通告、清がこれを拒否すると条約改正交渉の結果、領事裁判権を廃止する日英通商航海条約調印を経て五日後、大鳥公使は李氏・朝鮮政府に清軍の撤退と朝清間の条約廃棄を三日間の期限で回答するよう通告する。

これに対して朝鮮政府は日清両軍の撤兵要求を回答した為、七月下旬未明に陸軍第五師団の二個大隊が漢城の電信線を切断して朝鮮王宮を三時間にわたり攻撃・占領し、その後豊島沖海戦、牙山攻撃が行われる。

これは開戦の名義を立てる目的で朝鮮政府の閔(ミン)氏一族を追放し、興宣大院君(フンソンデウォングン)を再び担ぎだして政権を樹立して日本に清軍の朝鮮からの撃退を要請させる為で在った。

この日本政府の強引な日清開戦工作に対して、明治天皇は「これは朕の戦争に非ず。大臣の戦争なり」との怒りを発していたと伝えられる。

日本軍の王宮占領後、朝鮮国では軍用電線の切断、兵站部への襲撃と日本兵の捕縛、殺害など民衆の「義兵」反日抵抗が続いたが、千八百九十四年十月に全琫準(ぜんほうじゅん)を指導者とする東学農民軍が侵入した日本軍を秀吉軍の再来と受け止め再蜂起する。

農民軍参加者は延べ十三万人を超えると推定されている。

興宣大院君(フンソンデウォングン)は農民軍鎮圧の為の派兵をしないよう大鳥公使に要請したが、日本は部隊(歩兵独立第十九大隊)を十一月初めに派兵し、下旬からの公州攻防戦で勝利して農民軍を南方へ退ける。

更にロシアの軍事介入を極度に警戒した日本は、農民軍の北進を恐れ朝鮮最西南端の海南さらに珍島まで追いつめて徹底的に殲滅した。

対清宣戦布告は八月一日で、日本政府が国民に伝えた宣戦の理由(清国ニ対スル宣戦ノ詔勅)の要旨は下記のごとくものである。

そもそも、朝鮮は日本と日朝修好条規を締結して開国した独立の一国である。

それにも関わらず清国は朝鮮を属邦と称して、内政干渉し、朝鮮を救うとの名目で出兵した。

日本は済物浦(チェムルポ/さいもっぽ)条約に基づき、出兵して変に備えさせて、朝鮮での争いを永久に無くし、東洋全局の平和を維持しようと思い、清帝国に協同して事に従おうと提案したが清国は様々な言い訳をしてこれを拒否した。

日本は朝鮮の独立を保つ為朝鮮に改革を勧めて朝鮮もこれを肯諾した。

しかし、清国はそれを妨害し朝鮮に大軍を送り、また朝鮮沖(豊島沖)で日本の軍艦を攻撃した。

日本が朝鮮の治安の責任を負い、独立国とさせた朝鮮の地位と天津条約とを否定し、日本の権利・利益を損傷し、そして東洋の平和を保障させない清国の計画は明白である。

清国は平和を犠牲にして非望を遂げようとするものである。

事が既にここに至れば、日本は宣戦せざるを得なくなった。

戦争を早期に終結して平和を回復させたいと思う。

と言った意味の文面だった。

宣戦布告など、大概は一方的な正義を振りかざしたものだが、これを正論と採るか言い掛かりと採るかは「夫々(それぞれ)の考え方」と言う事になる。

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by mmcjiyodan | 2010-08-15 00:33 | Comments(0)  

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