薩長同盟(さっちょうどうめい)

幕末の政界で影響力を持つ薩摩藩長州藩は倒幕思想では共通していた。

所が千八百六十四年(元治元年)八月、薩摩藩論を主導する西郷吉之助(西郷隆盛/隆永)大久保利通は、長州追い落としに拠る主導権を狙って会津藩・松平容保と協力し京の政界から長州を追放した八月十八日の政変を行い、さらに二日後の禁門の変で長州を京都から追放する。

朝敵となった長州は幕府からの第一次長州征討(幕長戦争)を受け、この因縁により長州が薩摩を嫌い「薩賊」と呼ぶなど薩長間は敵対関係となった。

長州・薩摩間の和睦は、イギリスの駐日公使であるハリー・パークスが長州の高杉晋作と会談したり、薩摩や同じく幕末の政界で影響力を持っていた土佐藩を訪問するなどして西南の雄藩を結びつけさせた事に始まる。

土佐の脱藩浪士・坂本龍馬中岡慎太郎の斡旋もあって、千八百六十六年(慶応ニ年)主戦派の長州藩重臣である福永喜助宅に於いて会談が進められ、交渉中に下関での会談を西郷が直前に拒否する事態もあった。

しかし、千八百六十六年三月(慶応ニ年一月)京都二本松薩摩藩・小松帯刀(こまつたてわき/清廉)邸(京都市上京区)で坂本を介して西郷隆盛、小松帯刀(清廉)と長州藩の桂小五郎が倒幕運動に協力する六か条の政治的軍事的同盟を締結した。

薩長同盟は龍馬最大の功績と言われるが、実際には西郷や小松帯刀ら薩摩藩の「指示を受けて動いていた」と言う説もあり、薩長連合に果たした役割の重要性に付いては評価が分かれている。

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by mmcjiyodan | 2010-09-06 19:56 | Comments(0)  

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