伊都内親王(いずないしんのう)

伊都内親王(いずないしんのう)は、平安時代前期に桓武天皇と宮人・藤原平子(中納言・藤原乙叡の女)との間に第八皇女として生まれた。

実はこの桓武天皇の御世に生まれた天皇の第八皇女の名乗りが伊都内親王(いずないしんのう)で、「伊都」を「いず」と読ませませ、時に「伊豆」とも表記している。

伊都(伊豆)の名については「乳母が伊豆氏出身だった事に由来する」と言う説が在るが、「伊豆氏」は藤原南家流・工藤氏、同族の伊東氏・狩野氏・河津氏などの地方豪族一族を指すとされる。

工藤(藤原)維職(これもと)が伊豆横領使を任じられて、宇佐美・伊東・河津の三荘を領したのが千百年(平安時代後期)頃だったので、八百十年代と思われる平安初期に生まれた伊都内親王(いずないしんのう)を、伊豆藤原南家流の女が内親王の乳母を務めるのは年次的に三百年近く前後している。

むしろ内親王(ないしんのう)の父帝・桓武天皇が伊豆の地に並々ならぬ関心を寄せていた為に伊都(伊豆)と名付けたのではないだろうか?

伊豆地には昔から、海洋族(呉族)賀茂・葛城氏事代主神(ことしろぬしのかみ)にまつわる多くの地名が存在する。

伊豆は、太平洋に突き出した半島で、黒潮の流れ沿いに位置し、間違いなく隼人(はやと)の子孫たちが辿り着くべき、ロマンを持ち合わせる半島である。

現存する古文書によると、天武天皇の御世、六百八十一年七月に駿河国の東部二つの郡(賀茂郡・駿東郡)を割いて成立した伊豆の国(いずのくに)は、天城連山をはじめ多くの山に囲まれた山国である。

天武大王(てんむおおきみ/天皇)の御世、役小角(えんのおずぬ)修験道を始めた、六百八十一年七月に小角(おずぬ)縁(ゆかり)の律令国上の伊豆の国(いずのくに)は成立した。

まぁ、こうした古文書が残っていると、それ以前には「伊豆の国(いずのくに)が無かった」と単純に言われそうだが、裏を返せば、わざわざそうした名の国を作る「理由は何なのか」と言う見方も出来る。

伊豆の国(いずのくに)成立から百年程経った七百八十一年の桓武天皇(かんむてんのう)の御世、天武大王(てんむおおきみ/天皇)が始めた古事記日本書紀の編纂が佳境を向かえ、八百七年には遣唐使の学僧だった弘法大師(空海)伝教大師(最澄)が帰朝する。

二人の帰国は、ちょうど桓武天皇(かんむてんのう)のダイナミックな治世が行われた頃で、この頃の都は長岡京 (ながおかきょう)から遷都(七百九十四年)されたばかりの平安京(へいあんきょう)だった。

そして空海(弘法大師)は、帰朝して間もない時期に都から遠い伊豆の国(いずのくに)・修善寺の地におお慌てで「桂谷寺」と言う寺を開山し、伊豆の国(いずのくに)に橋頭堡を築いている。

この一連の動きには、何か隠された伊豆の国(いずのくに)の謎があるのではないだろうか?

平安時代初期の段階で「伊都」は「いず」と読み、「伊豆」とも表記しているのだが、この伊都内親王(いずないしんのう)の誕生時期と、陰陽師に拠る天孫降臨伝説(記・紀神話)の喧伝の開始、弘法大師(空海)が伊豆・桂谷山寺(後の修禅寺)の開基を急いでいるなどが集中していて、桓武帝を中心とした作為の連携が感じられる。

つまり伊豆に思い入れが在る桓武天皇は娘(内親王)に伊都(伊豆)の名を与え、昔の国(伊都国)を文字を変えて「復活させたのでは?」とも取れるのだ。

伊都内親王(いずないしんのう)は、八百二十四年(天長元年)頃に平城天皇の第一皇子・阿保親王(あぼしんのう)の妃となり、翌八百二十五年(天長二年)に業平王(なりひらおう)を産む。

阿保親王(あぼしんのう)は、嵯峨天皇より息子達・行平、業平ほかに在原姓を賜わり臣籍降下させた為、伊都内親王(いずないしんのう)の子・業平王(なりひらおう)は在原業平(ありわらのなりひら)を名乗る。

伊都の夫・阿保親王(あぼしんのう)は、桓武天皇の嫡系の孫と言う立場に翻弄されながら結婚十八年後の八百四十二年に、急死する。

父・阿保親王(あぼしんのう)没後の在原業平(ありわらのなりひら)は従四位上蔵人頭右近衛権中将を務め歌人としても名を馳せている。

伊豆の国=伊都国(いとこく)説の詳細は【葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】に飛ぶ。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2010-09-22 02:23 | Comments(0)  

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