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東郷平八郎(とうごうへいはちろう)その(二)

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東郷平八郎(とうごうへいはちろう)は戊辰戦争の終結後、千八百七十一年(明治四年)から七年間、千八百七十八年(明治十一年)まで新政府の海軍士官として英国のポーツマスに官費留学する。

当初鉄道技師になる事を希望していた平八郎(へいはちろう)は、英国に官費留学する際、最初は大久保利通に留学の希望を伝え頼み込んだが色良い返事はもらえなかった。

この大久保利通の平八郎(へいはちろう)への対応に対して大久保の真意を伝え聞いた所に拠ると「平八郎はおしゃべりだから駄目だ」と評しているの事で、自省してその後は努めて寡黙を通し、それが長じて後年は「沈黙の提督」との評価を得るまでになった。

その後平八郎(へいはちろう)は大久保をあきらめ、官費留学の件を西郷隆盛に頼み込んだ所、「任せなさい」と快諾、ほどなく東郷のイギリス留学が決定した。

クールで他人に厳しい大久保利通と面倒見が良い西郷隆盛の人柄の違いが目立ったエピソードだが、隆盛が東郷の軍人としての才能を見込んだのかまでは判らない。

ただ、この西郷隆盛の骨折りが、危うく大久保利通が潰し掛けた世界的に有名な海軍提督・東郷平八郎(とうごうへいはちろう)を生み出した事には変わりは無い。

英国渡航後の平八郎(へいはちろう)は、希望したダートマス王立海軍兵学校への留学を許されず、商船学校のウースター協会で学ぶ事になるなど順風とは行かず、また留学生としての周囲の環境も歓迎されているとは言えず、慣れない当初は苦労している。

それでも七年間も留学している間に平八郎(へいはちろう)は多くの事を学び、特に国際法を学んだ事によって、日清戦争時に停船の警告に応じないイギリスの商船「高陞号」を撃沈する合法判断を為し得ている。

平八郎(へいはちろう)は、停船の警告に応じない船舶の撃沈が国際法に違反しない行為であると正しく判断し、この沈着な判断力が連合艦隊司令長官に人選される要素となっている。

留学を終えて帰国途上、恩人・西郷隆盛が「西南戦争を起こして自害した」と現地で知った平八郎(へいはちろう)は、「もし私が日本に残って居たら西郷さんの下に馳せ参じていただろう」と言って、西郷の死を悼んだという。

実際、平八郎(へいはちろう)の実兄である小倉壮九郎は、薩軍三番大隊九番小隊長として西南戦争に従軍し、城山攻防戦の際に自決している。

帰国した平八郎(へいはちろう)は、千八百九十四年(明治二十七年)の日清戦争では海軍大佐として緒戦より防護巡洋艦・「浪速」の艦長を務め豊島沖海戦(イギリス船籍の高陞号撃沈事件)、黄海海戦、威海衛海戦で活躍する。

平八郎(へいはちろう)は、威海衛海戦後に少将に進級し同時に常備艦隊司令官となるが、戦時編成の為実際には連合艦隊第一遊撃隊司令官として澎湖島攻略戦に参加している。

東郷平八郎(とうごうへいはちろう)その(三)】に続く。

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by mmcjiyodan | 2010-10-08 02:09  

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