日露戦争(にちろせんそう)その(五)・旅順港

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第三軍を指揮して旅順攻略を完遂し、沙河対陣に駆け付けた乃木希典(のぎまれすけ)は、対ロシアの陸戦で最も過酷な戦闘をした司令官である。

台湾から帰任後の千八百九十九年(明治三十二年)、乃木希典(のぎまれすけ)は第十一師団(四国四県が徴兵区)の初代師団長(中将)に親補せられる。

その後希典(まれすけ)は願い出て休職していたが、千九百四年(明治三十七年)日露戦争の開戦にともない、第三軍司令官(大将)として戦役に着く。

六月六日、乃木希典大将率いる第三軍が大連に上陸したが、陸軍の旅順攻略参戦を拒む海軍の意向を受け、満洲軍総司令部の指示により旅順に向けて漸進(ユックリ進軍)を余儀なくさせられる。

第三軍は旅順要塞攻略の為に新たに編成されたもので、第一回総攻撃では空前の大規模な砲撃を行った後、第三軍を構成する各師団の歩兵部隊に対し、ロシア旅順要塞の堡塁へ白昼突撃を敢行させ希典(まれすけ)は多くの犠牲者を出した。

乃木希典大将率いる第三軍は旅順攻囲戦を続行中で在ったが、旅順要塞に対する十月二十六日からの第二回総攻撃は失敗し、十一月二十六日からの第三回総攻撃も苦戦に陥る。

第三軍の戦況を懸念した満州軍総参謀長・児玉源太郎大将は、大山巌元帥の指示を受け旅順方面へ着任し、大本営と海軍の主張を受け入れ、攻撃目標を要塞北西の二百三高地に絞り込む。

千九百四年(三十七)十二月、児玉源太郎(こだまげんたろう)は乃木希典が攻めあぐねていた二百三高地に対し火力の集中という要塞攻撃の常道を行う為、元々海岸防衛用の恒久据え付け砲で移動が困難な二十八センチ榴弾砲を、敵陣に接近した場所まで一日で配置転換を行うと言う奇抜な作戦を取ったとされる。

源太郎(げんたろう)は、自分にない人格的長所を持つ乃木希典に対する尊敬の念を終生抱き続け、無二の親友として接していたが、希典の性格を知る故に二百三高地に無謀な突撃を繰り返す希典を側面支援し、そして砲撃と突撃隊の突撃を同時に行い、二百三高地を半日で陥落させた。

さらに二百三高地に弾着観測所を設置し、砲兵の専門家の助言を無視して二百三高地越えに旅順湾内のロシア旅順艦隊に二十八センチ砲で砲撃を加え、敵艦は旅順湾街に降り注ぐ砲弾を少なくするため次々と自沈し壊滅した。

日露両軍ともに戦死五千、戦傷者一万以上を出す激戦の末、第三軍は十二月四日に二百三高地を占領し、ロシア軍は戦力を決定的に消耗した。

乃木家の男児は二人居たが、長男・勝典(かつすけ/戦死特進中尉)は先に行われた南山の戦いで戦死、次男・保典(やすすけ/戦死特進中尉)は希典(まれすけ)指揮の二百三高地に於ける白昼突撃の戦闘で戦死している。

第三軍の司令官・希典(まれすけ)は、この失敗により要塞の堡塁直前まで塹壕を掘るなどし犠牲者を激減させたとされるが、特に台湾総督時代や旅順攻略戦に対する希典(まれすけ)の評価は識者の間だけでなく、歴史通の人々の間でも評価が分かれている。

その後第三軍は、満洲軍総司令部の当初からの攻撃目標であった要塞東北正面の堡塁群を攻略し、これによりロシア太平洋第二・三艦隊(所謂バルチック艦隊)は単独で日本の連合艦隊と戦わざるを得なくなり、旅順攻囲戦の目的は達成された。

旅順要塞のロシア軍は二百三高地陥落を境に弱体化しこの一ヶ月後に降伏、要塞司令官アナトーリイ・ステッセリ(またはステッセル)と乃木希典の水師営の会見(旅順開城交渉)が行われる。

千九百五年一月一日にロシア軍旅順要塞司令官のステッセリ(ステッセル)中将は降伏した。

ロシア旅順要塞攻略後に同要塞司令官アナトーリイ・ステッセリとの間で水師営の会見(旅順開城交渉)が行われ、希典(まれすけ)は水師営の会見で紳士的にふるまい、従軍記者たちの再三の要求にも関わらず会見写真は一枚しか撮影させず、彼らの武人としての名誉を重んじた。

水師営の会見(旅順開城交渉)で敵将・アナトーリイ・ステッセリに対する希典(まれすけ)の態度は、軍人の見本とすべき崇高な態度として評価され、乃木希典(のぎまれすけ)神格化の第一歩となった。

戦時中は一般国民にまで兵を消耗する戦下手と罵られた希典(まれすけ)で在ったが、勝てば評価は変わるもので、旅順攻略戦が極めて困難であった事や二人の子息を戦死で亡くした事から希典(まれすけ)の凱旋には多くの国民が押し寄せた。

日露戦争(にちろせんそう)その(六)・日本海海戦】に続く。
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by mmcjiyodan | 2010-10-26 00:44 | Comments(0)  

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