尊皇攘夷運動(そんのうじょういうんどう)

明治維新の立役者である勤皇の志士は、果たして英雄だったのだろうか?

織田信長と比べると、彼らは明らかに「小粒」と言わざるを得ない。

信長は皇統その物の簒奪(さんだつ)を狙ったが、勤皇の志士の考えていた事は、感覚的には精々い藩主止まりの「形を変えた下克上」の範疇だった。

彼らは永い事最下級の氏(うじ)、つまり下士だったから「そこから這い上がろう」と言う志は在った。

その固定された血の身分を呪ってはいたが、その目標は江戸幕府止まりで根本にある皇統まで「どうにかしよう」とは思い至らない。

それでも現状打破の為に、活路を尊皇攘夷に求めた。

攘夷論の根本は外圧に対する帰属意識を基にした右脳域の感情的憤慨で確かに一般民衆の感情的理解は得易いが、余り左脳域の理性的な物とは言えない。

しかしこれは、感性(右脳域/感情)と理性(左脳域/計算)のどちらの価値観を採るのかの問題で双方言い分があり、本来いずれかを「正しい」とする事は出来ない。

まぁこの時代、勤皇派も佐幕派も動乱に乗ったのは現状では浮かび上がれない者達で、野心満々の立身出世が根底に在っての主義主張であり、要はいずれの側に付いた者も大儀は方便だった。

彼らは、外様の悲哀と下士の身分の悲哀を先祖代々受け継いで、骨身に沁み、向上心に燃えていた。

そこに黒船騒ぎで、頭角を現す為の「良いきっかけとなった。」のが偽らざる処だった。

それ故、彼らは長年の思いも、激しく倒幕の運動にぶつけた。

中核になったのは長州萩城下・松本村(現在の山口県萩市)の松下村塾である。

この尊皇攘夷運動、本音で言えば現状を変える事が彼らの最大の目標で、攘夷など途中から吹っ飛んでしまっている。

大体の所、秩序から言えば武力革命を伴う政権転覆計画など逆賊の大罪人であるが、矛盾する事にそれが成功してしまうと逆賊が英雄に化けてしまう。

確かに「外敵を排除する」と言う事は一般民衆の感情的理解は得易いし、大儀名分があれば仲間を集め易く幕政にも藩政にも不満を持つ者には「攘夷」は格好の理由だった。

攘夷論の根本は外圧に対する帰属意識を基にした右脳域の感情的憤慨で、余り左脳域の理性的な物とは言えず、左脳域の現実的対処をした幕府大老・井伊直弼の決断が一方的に非難される所以(ゆえん)は無い。

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by mmcjiyodan | 2010-11-01 00:47 | Comments(0)  

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