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橘氏の由来と橘諸兄(たちばなのもろえ)

橘が姓として正式に登場するのは、県犬養宿禰(あがたのいぬかいのすくね)三千代が元明大王(てんむおおきみ/第四十三代天皇)即位の大嘗祭(だいじょうさい/おおにえのまつり)後の祝宴で、天武天皇(てんむてんのう/第四十代)から橘姓を賜った。

橘諸兄(たちばなのもろえ)は、元の名前を葛城王(葛木王・かつらぎのおう/おおきみ・皇族)と称し、敏達大王(びたつおおきみ/第三十代天皇)の後裔で大宰帥・美努王(みぬのおう/皇族)の子であった。

その葛城王(葛木王・かつらぎのおう/おおきみ・皇族)が、弟の佐為王(さいのおう)と共に母・橘三千代の姓氏である橘宿禰(たちばなのすくね・宿禰は八色の姓(やくさのかばね)で制定された姓(かばね)の一つ)を継ぐ事を願い許可され、それ以後は臣籍降下(しんせきこうか)をして橘諸兄(たちばなのもろえ)と名乗る。

橘宿禰(たちばなのすくね)の由来は、古代氏族・犬養氏の一つ県犬養(宿禰)東人(あがたのいぬかいの(すくね)あずまびと)の娘・県犬養宿禰三千代が元明天皇(げんめいてんのう/奈良朝初代・第四十三代)即位の大嘗祭(だいじょうさい/おおにえのまつり)後の祝宴で、天武天皇(てんむてんのう/第四十代)から「橘を氏とせよ。」と橘姓を賜る。

その橘三千代は奈良朝に於いて最も注目すべき女性で、長じて敏達大王(びたつおおきみ/第三十代天皇)の曾孫・美努王(みぬおう/みぬおおきみ)に嫁ぎ、葛城王(かつらぎのおう・橘諸兄/たちばなのもろえ)と牟漏女王を産み、その後藤原不比等と結婚して光明皇后(こうみょうこうごう)を産む。

橘三千代が嫁いだ美努王(みぬおう/みぬおおきみ)は、欽明大王(きんめいおおきみ/第二十九代天皇)の第二皇子・敏達大王(びたつおおきみ/第三十代天皇)の第一子・難波皇子の子・栗隅王(くりくまのおう/くりくまのおおきみ)の子で皇族である。

美努王(みぬおう/みぬおおきみ)と橘三千代の間に出来た葛城王(かつらぎのおう)は参議まで上り、当時皇族が臣席に下るには眞人姓を賜るのが常であったが、母三千代の死後三年、橘宿禰(たちばなのすくね)の姓を賜り、橘諸兄(たちばなのもろえ)を名乗る。

初代・橘長者(たちばなのちょうじゃ)と成った橘諸兄(たちばなのもろえ)に権力を握る出来事が起こった。

七百三十七年(天平九年)疫病(天然痘)の流行によって藤原四兄弟が相次いで亡くなり、続いて舎人親王(とねりのしんのう)を初めとして多くの政府高官が死亡して議政官がほぼ全滅し、出仕出来る公卿は従三位左大弁の諸兄(もろえ)と従三位大蔵卿・鈴鹿王(すずかのおう・皇族)のみとなった。

そこで政権体制を整える為、急遽この年に諸兄(もろえ)を次期大臣の資格を有する大納言に、鈴鹿王(すずかのおう・皇族)を知太政官事(太政大臣と同格で皇族である事のみが任用条件)に任命する。

翌年には、橘諸兄(たちばなのもろえ)は正三位右大臣に任命されて一躍朝廷の中心的地位に出世する事になり、これ以降の国政は事実上橘諸兄(たちばなのもろえ)が担当し、聖武天皇(しょうむてんのう/第四十五代)を補佐する事になる。

尚、橘諸兄(たちばなのもろえ)は、大伴家持が個人的に編纂したとされる万葉集に作品が残る万葉歌人(まんようかじん)でもある。

橘諸兄(たちばなのもろえ)の乱】に続く。

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by mmcjiyodan | 2010-11-07 03:19  

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