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勾玉(まがたま)の謎

阿部氏・安倍氏の蝦夷族長説に付いての裏付けとしては、我輩は我が国古代の装身具である翡翠の勾玉(ひすいのまがたま)に注目した。

玉器に拠る宝飾品は歴代中華帝国にも在ったが、勾玉(まがたま)は無かった。

つまり勾玉(まがたま)は、日本列島に存在した固有の装身具である。

前述の様に、阿部氏・安倍氏が土着の部族王・御門(みかど/臣王)であれば、越後守(越後国主)は正に臣王(おみおう/御門)であり、我が国古代に於いて固有の装身具・翡翠勾玉(ひすいまがたま)の翡翠(ひすい)は、その越後国(新潟)糸魚川が唯一の産出地である。

そして勾玉(まがたま、曲玉とも表記)は、日本史では「先史」とされている古事記日本書紀に於ける記述以前の古代史に於いて日本に於ける装身具の一つであり、「祭祀にも用いられていた」と言われるが、「先史」は大和朝廷(ヤマト王権)に於いて意図的に葬られたので詳細は分からない。

しかし勾玉(まがたま)が、列島固有の装身具として「先史(縄文)時代」から存在した物であれば、三種の神器(みくさのかむだから)の一つ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は何を意味しているのだろうか?

古墳時代前期の古墳から硬玉翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)が出土する事が多く、大阪府和泉市黄金塚古墳では、大小の勾玉が三十四個も見つかり、この内には翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)が二十六個が含まれている。

「突拍子もない」と否定するかも知れないが、平安貴族と成る安倍家の朝廷からの賜姓を良く読んで欲しい。

貴族「土御門家」である。

御門は部族王の事であるから、これを素直に読むと土蜘蛛、或いは土族(つちぞく)の帝=「つちみかど」なのである。

そして、宮中で、天文学を操って都の平穏を呪詛すると同時に、蝦夷の「統括及び民意誘導」を執り行う陰陽寮の長官・陰陽頭を任じたのである。

御門(みかど)が部族長或いは部族王の尊称であれば、安倍氏・貴族・土御門家(つちみかどけ)は紛れも無く土族(つちぞく)の長(王)であり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)勾玉(まがたま)を祭祀に用いた縄文人(蝦夷族)の長に違いないのではないか?

そしてこの古墳時代前期が、越後国の蝦夷族部族王・阿部氏・安倍氏が大和朝廷(ヤマト王権)に合流しつつある時期だったのではないだろうか?

日本の神道は氏族の氏神(氏上)であり、渡来部族の支配を確立する為に神格化させ、縄文人(蝦夷族)の土着信仰と融合させた物だ。

そして勾玉(まがたま、曲玉とも表記)は、縄文期から古墳期にかけての「先史」と言われる時代、つまり「古事記日本書紀」で日本史が天孫降臨伝説に捏造される以前の時代に存在した祭祀的意味合いを持った装身具で、平安期には姿を消した物だった。

当然ながら、勾玉(まがたま)が縄文人(蝦夷族)の土着信仰に関係があるのであれば、渡来部族と縄文人(蝦夷族)が混在した縄文期から古墳期にかけての融合期にのみ集中していた訳である。

つまり土偶(どぐう)や勾玉(まがたま)と言った縄文文化は、「古事記・日本書紀」の天孫降臨伝説とその伝説喧伝工作を担った陰陽修験の活躍にかき消されてしまったのだ。

「まがたま」の言葉(語)の初出は「記紀」にあり、「古事記」には「曲玉(まがたま)」、「日本書紀」には「勾玉(まがたま)」の表記が見られ、語源は「曲っている玉」から来ていると言う説が有力である。

多くは、アルベットの「C」の字形またはカタカナの「コ」の字形に湾曲した玉から尾が出たような形をして居り、丸く膨らんだ一端に穴を開けて紐を通し、首飾りとした。

孔のある一端を頭、湾曲部の内側を腹、外側を背と呼び、多くは翡翠、瑪瑙、水晶、滑石、琥珀、鼈甲で作られ、土器製のものもある。

その勾玉(まがたま)の形状は、「元が動物の牙であった」とする説や、母親の胎内にいる「初期の胎児の形を表す」とする説などがあるが列島固有の装身具で、古代の日本列島が文化的な影響を受けたとされる中華大陸側には勾玉(まがたま)に相当するものは無い。

現在では縄文時代極初期のs�状耳飾(けつじょうくびかざ)りが勾玉(まがたま)の原型であると考えられており、日本の縄文時代の遺跡から発見されるものが最も古い。

この勾玉(まがたま)の装飾文化は朝鮮半島へも伝播し、紀元前六世紀から七世紀初頭の無文土器時代にアマゾナイト製の勾玉(まがたま)が見られる。

縄文時代早期末から前期初頭に滑石や蝋石のものが出現し、縄文中期には「C」字形の勾玉(まがたま)が見られ、後期から晩期には複雑化し、材質も多様化している。

「先史」とされている縄文時代を通じて勾玉(まがたま)の大きさは、比較的小さかったが、大和朝廷(ヤマト王権)が列島の西側に成立した弥生時代中期に入ると、前期までの獣形勾玉、緒締形勾玉から洗練された定形勾玉と呼ばれる勾玉(まがたま)が作られ始め、古墳時代頃から威信財とされるようになった。

三種の神器(みくさのかむだから)の一つに、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が存在する事から、大和朝廷(ヤマト王権)が渡来部族と原住縄文系民族(蝦夷族)との和合に力を入れた結果ではなかったのか?

六世紀初めには、製作される数が少なくなり、その後、奈良時代には寺院の芯礎に納められたり、仏像の装飾に使用されることはあったが、あくまでも古来の伝世品で、新規に製作されたものではない。

詳しくは【日本語のルーツと安倍氏】を参照に飛ぶ。

阿倍氏・安倍氏(あべうじ)】に戻る。
阿倍比羅夫(あべのひらふ)】に戻る。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2010-11-10 00:57  

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