そうせい侯・毛利敬親/慶親(もうりたかちか/よしちか)

長州藩の第十三代藩主(安芸毛利家二十五代当主)・毛利敬親/慶親(もうりたかちか/よしちか)は、藩内の尊皇攘夷運動(そんのうじょういうんどう)勤皇攘夷派(倒幕派)、対する佐幕派(俗論派=保守派)のいずれの意見にも「そうせい」と頷く所から「そうせい侯」と陰口をたたかれた人物である。

勿論、倒幕から維新政府に到る長州藩の存在は群を抜いて大きかったが、藩主の毛利敬親 (もうりたかちか)は幕末の四賢候(ばくまつのしけんこう)に並び評されずも、見事な「そうせい侯」を演じて臣下の邪魔をせず、結果、長州主体の倒幕を自主的に完結させた。

一見、「そうせい」ばかりではリーダーとして頼りない評価があるかも知れないが、視点を変えれば目を掛けた部下に藩政を任せ切る敬親(たかちか)の「度量の大きさ」もチラつく。

勿論、毛利敬親 (もうりたかちか)は家臣を見る目に優れており、多くの低い身分の者を取り立てた上での「そうせい」で、闇雲に藩政を任せた訳ではない。

敬親 (たかちか)が自藩内で見出した吉田松陰は自らの私塾・松下村塾高杉晋作久坂玄瑞(くさかげんずい)桂小五郎(かつらこごろう/木戸孝允)を始めとする多くの有志を育てた。

そして、松陰の松下村塾を支援した政務役筆頭・周布兼翼・政之助(すふかねすけ・まさのすけ)を登用したのも敬親 (たかちか)公だった。

あくまでも結果論であるが、薩摩の島津久光(ひさみつ・忠教/ただゆき)や土佐の山内豊信(やまうちとよしげ/容堂)の様に藩実力者の立場を持って臣下の邪魔を続けた事のどちらが経営者として相応しいのだろうか?

日本の天皇制も「君臨すれど統治せず」が国家・国民の風土に合っていたとするなら、現代の経営学に照らせば「そうせい侯」も部下の自主性と能力を引き出す立派な君主の生き方かも知れない。

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by mmcjiyodan | 2010-12-09 18:13 | Comments(0)  

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