高家旗本(こうけはたもと)

江戸時代の高家は、江戸幕府に於ける儀式や典礼を司る役職であり、また、この職に就く事ができる家格の旗本を指して高家旗本(こうけはたもと)と称す。

役職としての高家を「高家職」と記す事があり、高家旗本と言う家格の内、高家職に就いている家は奥高家、非役の家は表高家と呼ばれた。

この高家を江戸幕府に置いたには、徳川家・初期歴代将軍の貴家趣味(きけしゅみ)に起因する所が大きく、特に徳川家康の貴家趣味は有名で、儀式を行う高家として没落した名門武家を数多く登用した。

貴家趣味(きけしゅみ)とは、高貴な家柄の人物と交流したり、また能力・実態以上に重く用いる事を好む事で、歴史学的には日本史に於ける血統至上主義が如実に現れたものであり、没落した貴家の出身者を家臣として迎えて自己の地位を高めようとする狙いもある。

つまり江戸幕府から朝廷や公家との交際指南役として公家に近い扱いを受けたのが、室町幕府で高級官僚を務めた経緯を持つ没落名家などから幕臣に引き立てた家が高家旗本である。

また、徳川家康が三州・吉良家(四千二百石)や元駿河国・今川家(一千石)が、高家旗本(こうけはたもと)として幕臣に列したのは他にも訳が在る。

彼らの家が足利系流れであり、事の真相はともかく徳川家も出自を足利系得川家と名乗っていたからである。

千六百八十三年(天和三年)、奥高家(有職高家)の中から有職故実や礼儀作法に精通している大沢基恒、畠山義里、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の三名を選んで高家肝煎(こうけきもいり)としたが、高家肝煎となる家は固定されていた訳ではない。

◆摂津下野河内源氏足利流畠山家(能登)畠山民部大輔(はたけやまみんぶだゆう)五千石、
◆清和源氏足利流・吉良家(三河西条吉良氏)吉良左近衛権少将(きらさこんえしょうしょう)四千二百石は元禄赤穂事件に依り廃絶、
◆公家・持明院流・駿河名家・大沢家(遠江)大沢右京大夫(おおさわうきょうだゆう)三千五百五十六石、
◆自称平家織田流・大和織田家(尾張/信長織田家の本家)織田宮内大輔(おだくないだゆう)三千石、
◆清和源氏流美濃石津高木西家・高木弾正(たかぎだんじょう)二千三百四石、
清和源氏新田流・由良家(信濃)由良信濃守助(ゆらしなののかみすけ)一千石、
◆宇多源氏佐々木流・京極家(近江)京極丹後守(きょうごくたんごのかみ)千五百石、
◆河内源氏足利流・今川家(遠江)今川従五位(いまがわじゅごい)一千石、などが、有力高家旗本である。

高家は、公式の場に於ける礼儀作法を諸大名に伝授する事も職分であり、その際、相応の謝礼を受ける事が黙認されていたのだが、それは格式が高い為に収入以上の経費を必要とする少禄の高家にとっては貴重な収入であった。

元禄赤穂事件(忠臣蔵)」で知られる吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)は、僅か四千二百石取りながらも、従四位上左近衛権少将であった。

その「元禄赤穂事件」は、千七百一年(元禄十四年)高家肝煎(こうけきもいり)の吉良義央(きらよしひさ)が勅使馳走役の播州赤穂藩主・浅野長矩(あさのながのり)に殿中で斬りつけられ、その成敗が一方的に浅野の非を認めるものとなった事から翌年暮れに浅野の遺臣の一団に自宅を襲撃されて討ち取られ高家・吉良家は改易となった事件である。

高家職に就く事のできる旗本(高家旗本)は、主に室町時代の足利氏一門や旧守護、著名な戦国大名の子孫など、所謂(いわゆる)「名門」の家柄で占められた。

最初期、初めて高家職を務めた大沢基宿は、公家・持明院家の流れを汲み遠江国に下向して土着した大沢家の出身で、木寺宮と言う皇族の末裔を母とする人物である。

次に将軍家から高家に登用した吉良義弥・一色範勝・今川直房らは、いずれも清和源氏流足利家の一族である。

高家の創設の理由として、徳川家康が過っての名門の子孫を臣下に従える事により、対朝廷政策を優位に運びたかった為と思料され、次いで徳川氏が武家の棟梁として「旧来の武家の名門勢力を全て保護・支配下に置いている」と言う、政権の正当性及び権力誇示と言う見方が強い。

当初の高家は十家に満たなかったが、その後、江戸へ下向した公家の二・三男の子孫も加わるなどその数は順次増加し、千七百八十年(安永九年)には二十六家となって以後、幕末までその数は変わっていない。

この高家旗本以外に、知行一万石に満たないながら特例で参勤交代の特例を江戸幕府から認められた「交代寄合格(大名待遇格)」の旗本が、只の寄合格旗本よりは格式が高かった。

尚、高家の当主は高家職以外の幕府の役職に就く事はできないのが原則で、高家以外の職に就く場合は一度高家の列を離れて一般の旗本に列してからとなる。

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by mmcjiyodan | 2010-12-27 02:00 | Comments(0)  

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