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室町幕府の成立大略

此処からこの物語は室町時代に入って行くのだが、まずは室町幕府の成立を大略して置く。

北条得宗家(執権家)の支配が続いていた鎌倉幕府の末期、天皇親政を志した後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が立ち上がり、「元弘の乱(げんこうのらん)」を起こす。

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に呼応して第一皇子の大塔宮・護良親王(もりながしんのう)、公家の北畠顕家(きたばたけあきいえ)や源氏の武将・足利尊氏(あしかがたかうじ)新田義貞(にったよしさだ)、悪党・楠木正成(くすのきまさしげ)赤松則村(あかまつのりむら/円心)名和長年(なわながとし)らが後醍醐方に味方して鎌倉幕府滅亡を滅亡させる。

千三百三十三年(元弘三年/正慶二年)に倒幕に成功した後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が「親政(天皇がみずから行う政治)=建武の新政」を開始するも、しかし味方した武士よりも側近公家を優遇して不満を募らせてしまう。

この武士不満と幕府滅亡後の混乱に乗じて、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の倒幕に助力した足利尊氏(あしかがたかうじ)が北朝を立て、新たな武家政権を画策して後醍醐方の南朝と日本中を二分する内戦になる。

その吉野朝廷(南朝)と京都の朝廷(北朝)が対立する「南北朝並立期」は、吉野朝の頑張りと南朝の征西大将軍・懐良(かねなが)親王の九州朝や義良親王(のちの後村上天皇)の東北地方経営など地方でも頑張りを見せ、千四百三十七年頃まで約四十五年間も続いた。

室町幕府の成立時期については、足利尊氏が幕府の施政方針が建武式目として確立・明示された千三百三十六年(建武三年)十一月が有力説で、尊氏が北朝の光明天皇に征夷大将軍へ補任された千三百三十八年(暦応元年)とする説は分が悪い。

吉野朝廷(南朝)の力の衰えと伴に漸く実質成立した足利将軍家の室町期は、三代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の頃と言われる。

室町期の北朝系天皇及び公家衆の朝廷は大小名の権威付けとしての官位叙任の機関として命脈を繋いで来たが、権威ばかりで金も力もほとんど無い状態だった。

千三百三十六年の足利尊氏の室町開府から、十五代・足利義昭織田信長に追放される千五百七十三年までの二百三十七年間を室町幕府と言う。

室町幕府体制・三管領・四職】に続く。

参考リスト【正中(しょうちゅう)の変から室町幕府成立までの主な登場人物と主な出来事】<=クリックがお薦めです。

この記述は、【日本史時代区分大略・一覧表】に掲載しております。

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江戸幕府の成立大略】に続く。
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主な出来事
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by mmcjiyodan | 2011-01-08 15:48  

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