人気ブログランキング | 話題のタグを見る

博多祇園山笠・櫛田神社(くしだじんじゃ)

祇園祭りは、北は青森から南は九州・熊本まで広範囲に地祇系神(祇園神社系神)として執り行われている祭礼で、京都の八坂神社(祇園総社)や博多・櫛田神社に祀られる素戔嗚尊(すさのうのみこと/須佐王)の博多祇園山笠は特に盛大で知られている。

博多には、代々博多に住む者なら当たり前に男衆が燃える祭り「博多祇園山笠」がある。

博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社・櫛田神社(くしだじんじゃ)に奉納する山笠は、勇壮を極め、全国から見物客が訪れる。

櫛田神社(くしだじんじゃ)は、博多の総鎮守で旧社格は県社(あがたしゃ)であるが、「延喜式神名帳」への記載はない。

この櫛田神社(くしだじんじゃ)、平清盛が博多を日宋貿易の拠点港とした平安末期に御託宣により鎮祭され、この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられている。

七百六十余年の伝統を誇り福博の街に夏を告げる博多祇園山笠は、博多の総鎮守・櫛田神社の奉納神事であり、国の重要無形民俗文化財でもある。

奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名で、七月一日の飾り山公開に始まり、十五日のクライマックス「追い山笠」まで、約二週間、博多は祭りムードに包まれる。

追い山笠の当日は九十万人の観客の見守る中、約五キロの工程を幼い頃から流れ(山笠を出す町内)のひとつに入って祇園山笠を親しんで来た締め込み姿(フンドシ姿)の男衆が山笠もろとも勇壮で豪快に疾走する。

舁(か)き手の出立(いでた)ちも、初めは締込みだけの裸に近いものだったが、明治期に西洋的文明開化が始まると、政府はお尻丸出しの山笠が野蛮に映ったのか、あれこれと理由をつけて禁止しようとする。

これに対抗して知恵を絞り、「お尻丸出しが悪いなら法被を着れば良い」と、全員が水法被(みずはっぴ)を着用して政府のお達しを切り抜けた。

印半纏(しるしばんてん)を法被(はっぴ)と呼び、博多祇園山笠の水法被(みずはっぴ)は、その祇園山笠の祭りの期間中は正装と見なされる。

締め込み姿の舁き手の男衆に威勢よく勢い水がかけられ、重量一トンもの舁き山(かきやま)をオイサッ!オイサッ!と勇ましい掛け声と供に舁き、後方から勢いよく山を押して博多の街を走りぬけ多の街は熱狂のるつぼと化す。

この「追い山笠」の締め込み姿(フンドシ姿)の男衆の尻はそれを見る女衆にとってたまらない色気だが、参加する者も見物する者も祭り好きも踊り好きも、原点は興奮による脳内麻薬・ベーターエンドロフィンのメカニズムが働いているからである。

また、須佐氏(すさうじ)=稲田氏(いなだうじ)説を採ると、博多祇園山笠・櫛田神社(くしだじんじゃ)が、八岐大蛇(やまたのおろち)伝説に拠る櫛名田比売(クシナダヒメ)の別名・奇稲田姫(クシ・イナダヒメ)が見事に符合して来るのである。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

関連記事
祇園祭(ぎおんまつり、ぎおんさい)】に飛ぶ。
八坂神社(祇園神社)】に飛ぶ。
牛頭天王(ゴヅテンノウ)=祇園神・須佐王(スサノオ)】に飛ぶ。
須佐氏(すさうじ)=稲田氏(いなだうじ)
仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説】に飛ぶ。
須佐王(スサノオ)】に飛ぶ。
北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)】に飛ぶ。
地祇系(ちぎけい)神】に飛ぶ。
氏神(うじがみ・氏上)】に飛ぶ。
鳥居(とりい)】に飛ぶ。
歴代朝鮮王朝略史】に飛ぶ。
祭りの「ワッショイ」の掛け声はどこから来た?】に飛ぶ。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)

未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

by mmcjiyodan | 2011-01-13 17:08  

<< 春画・浮世絵(しゅんが・うきよえ) 風土(ふうど)・風土記(ふどき) >>