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望月氏(もちずきうじ/古代豪族・滋野氏流)(三)

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室町末期から安土桃山期に掛けて忍びとして活躍した伊賀の「服部氏」、甲賀の「望月氏」と称されるように、戦国時代には甲賀忍者と呼ばれる甲賀五十三家の筆頭格に数えられた甲賀・望月氏の望月出雲守屋敷跡は現在甲賀流忍術屋敷となっている。

その望月出雲守が望月城(現甲賀市 旧甲賀郡甲南町)を築城するなどの記録が残されているが、この望月氏、実は信濃国佐久郡望月地方を本貫地とした武家の氏族がその出自である。

そもそもの望月氏名乗りの由来は、八百六十五年(貞観七年)の平安時代初期、それまで朝廷が八月二十九日に行っていた信濃国の貢馬の「駒牽」の儀式を、満月(望月)の日=八月十五日に改めた事に由来する。

この日に駒牽された貢馬を「望月の駒」と呼び、朝廷への貢馬の数が最も多かったのが信濃御牧の牧監とも伝えられる滋野氏(しげのうじ)であり、信濃十六牧の筆頭「望月の駒」を継承した一族に因(ちな)んで望月の姓が与えられた。

滋野氏(しげのうじ)とは、清和天皇の第四皇子・貞保親王(さだやすしんのう、陽成天皇の同腹の弟)がその家祖とされるが、「尊卑分脈」には記載されておらず、その真偽は「多分に怪しい」との指摘もある。

指摘を承知で一応ご紹介するが、滋野氏(しげのうじ)は貞保親王(さだやすしんのう)が信濃国海野庄(現:長野県東御市本海野)に住し、その孫の信濃国小県郡に本拠を置いた善淵王(よしぶちおう)が九百五年(延喜五年)に醍醐天皇より滋野姓を下賜(滋野善淵)された事に始まる皇別氏族である。

皇別氏族の真贋はともかくこの滋野氏(しげのうじ)が古代の名族で在る事に疑いは無く、枝に海野氏や望月氏・禰津氏(ねずうじ)などの諸族が在り、海野氏流には戦国期から江戸期の大名家となる真田氏の名も在る。

宗家・信濃望月氏は、海野氏、禰津氏(ねずうじ)と並び、滋野三家と呼ばれる滋野氏の流れを汲み、滋野為道(為通)の子・滋野則重(則広)、あるいは則広の孫・滋野広重に始まるとされる。

望月氏と甲賀の地は古より関係があり、望月の由来ともなった「望月の牧」を始めとする御牧は、古く奈良時代から産する馬を朝廷に送られており、これらの産駒は途中の近江国甲賀付近で休養や調教(飼養牧)を行っていた。

信濃国佐久郡望月地方を本貫地とした望月氏は平安時代に「平将門の乱で武功があった」とされ、当主・望月三郎兼家(諏訪氏の出自との説もあり)が朝命により赴任し、恩賞として近江国甲賀郡主となり十六ヶ村を贈った。

この望月三郎兼家が甲賀望月氏の祖で、信濃の望月氏の支流がその後そこから甲賀の地で独自に武士団へと発展し、甲賀衆筆頭格として活躍している。

甲賀望月氏一族の望月千代女(もちずきちよめ)が信濃望月氏の当主・望月盛時に嫁入りし、武田家専属の女遊行者(遊び女/くノ一として)を養成して情報収集活動を行なったと伝えられ、信濃と甲賀の両望月交流は続いたようである。

戦国期(安土桃山期)、甲賀望月氏は織田信長の勢力拡大と伴に六角氏の下で諜報に戦闘にと活躍するも六角氏が織田信長に攻められて衰退し甲賀の地も信長の軍門に下っている。

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by mmcjiyodan | 2011-02-01 00:31 | Comments(0)  

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