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観応の擾乱(かんのうのじょうらん)と足利直義(あしかがただよし)〔二〕

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)と足利直義(あしかがただよし)〔一〕に戻る。

足利直義(あしかがただよし)は畠山国清(はたけやまくにきよ)、桃井直常(もものいただつね)、石塔頼房(いしどうよりふさ)、細川顕氏(ほそかわあきうじ)吉良貞氏(きらさだうじ)山名時氏(やまなときうじ)斯波高経(しばたかつね)らを味方に付け、関東では十月に上杉憲顕(うえすぎのりあき)が高一族の高師冬(こうのもろふゆ)を駆逐する。

足利尊氏は備後から軍を返し、高兄弟もその軍勢に加わるこの時点に観応の擾乱の始まりを求められ、十一月には直義(ただよし)が高兄弟の追討の為に諸国の兵を募る。

その十一月には北朝・光厳上皇による足利直義追討令が出されると、直義(ただよし)は十二月に南朝方に降り、兄・尊氏と高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)兄弟との勢力に対抗する。

千三百五十一年(正平六年/観応二年)一月、足利直義(あしかがただよし)軍は京都に進撃し、留守を預かる足利義詮(あしかがよしあきら)は備前の尊氏の下に落ち延びた。

一ヵ月後の同年二月、尊氏軍は京都を目指すが、播磨光明寺合戦や摂津打出浜の戦いで直義軍に敗れ、尊氏は高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)兄弟の出家を条件に直義(ただよし)と和睦する。

高兄弟は摂津から京都への護送中に、待ち受けていた直義(ただよし)派の上杉能憲(師直に殺害された重能の養子)の軍勢により、摂津の武庫川(兵庫県伊丹市)で一族とともに謀殺され、直義(ただよし)は義詮の補佐として政務に復帰する。

一旦は平穏が戻ったものの幕府内部では直義(ただよし)派と反直義派との対立構造は存在したままで、それぞれの武将が独自の行動を取り、両派の衝突が避けられない状況に成って行った。

そんな情勢の中、近江の佐々木道誉(ささきどうよ)や播磨の赤松則祐(あかまつのりすけ/そくゆう)らが南朝と通じて幕府に反すると、足利尊氏は近江へ、足利義詮(あしかがよしあきら)は播磨へそれぞれ出兵する。

実は、足利尊氏・義詮(よしあきら)親子と佐々木道誉(ささきどうよ)らには密約があり出兵の真の狙いは京都の挟撃と言われており、八月、直義(ただよし)は桃井、斯波、山名氏を始め自派の武将を伴って京都を脱出し、自派の地盤である北陸・信濃を経て鎌倉へ至った。

足利直義(あしかがただよし)派が関東・北陸・山陰を抑え、西国では直義(ただよし)の養子・直冬が勢力を伸張している状況を見て、足利尊氏は南朝方と交渉し、和議の提案と直義・直冬追討の綸旨を要請する。

南朝方は、北朝方が保持していた三種の神器(南朝方は贋物であると主張)を渡し、政権を返上する事などを条件に和睦に応じ、十月には尊氏は南朝・後醍醐天皇方に降伏して綸旨を得る。

綸旨を得た足利尊氏は、息子の義詮(よしあきら)を京に残して南朝との交渉を任せ、直義追討の為に出陣し、翌千三百五十二年(正平七年/観応三年)には直義を駿河国薩W�山(さったやま・静岡県静岡市)、相模国早川尻(神奈川県小田原市)などの戦いで破って鎌倉に追い込み降伏させる。

降伏し鎌倉に幽閉された直義(ただよし)は二月に急死するが、「太平記」は尊氏による毒殺であると記している。

この足利尊氏の南朝方への降伏により北朝方の崇光天皇や皇太子直仁親王は廃され、関白二条良基らも更迭され、また年号も北朝の「観応二年」が廃されて南朝の「正平六年」に統一され、これを「正平一統」と呼ぶ。

南朝方の勅使が入京して具体的な和睦案の協議が開催された。

南朝方は、北朝方の意向により天台座主や寺社の要職に就いた者などを更迭して南朝方の人物を据える事や、建武の新政に於いて公家や寺社に与える為没収された地頭職を足利政権が旧主に返還した事の取り消しなどを求め、北朝方と対立する。

足利義詮(あしかがよしあきら)は譲歩の確認の為に尊氏と連絡し、万一の際の退路を確保するなど紛糾した。

正平一統が成立し、南朝方の後村上天皇が帰京する噂が立つと各地で南朝方の活動が活発化し、本拠を賀名生(あのう/奈良県五條市)から河内国東条(河南町)、摂津国住吉(大阪市住吉区)まで移転する。

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)と足利直義(あしかがただよし)〔三〕に続く。
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by mmcjiyodan | 2011-02-06 15:35  

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