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足利流・一色氏(いっしきうじ)〔二〕

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室町幕府が創立され、九州で南朝方・良光(ながみつ)親王が勢力を広げると、足利流の一色範氏・一色直氏は期待されて九州探題となるが戦果が上がらず、一色氏は一時衰退する。

それでも一色範氏の二男・一色範光の一族が漸く功績をたてて家勢を回復し、三河・若狭・丹後三ヵ国の守護大名となると同時に、四職家の一つとして権勢を奮い一色氏は最盛期を迎えた。

しかし一色氏が力を着け過ぎた為、室町幕府の第六代将軍・足利義教に時の一色氏の当主一色義貫が殺害されてしまった上、若狭武田氏の攻撃を受け一色氏は勢力を縮小させてしまう。

その後、一色義直が第八代将軍・足利義政の信任を受けるが、応仁の乱では細川勝元の東軍に与した若狭武田氏との反目から一色氏は、山名宗全の西軍に与して敗れた為、次第に衰退の一途を辿るようになる。

応仁の乱の後は丹後守護の座をめぐり若狭の武田氏(東軍・細川方)との抗争が続く一方で、戦国時代に入ると日本全国各地に於いて反乱・下克上が続発し、一色氏の領域も同様でさらに勢力は衰退してしまう。

そんな情勢の中、千五百七十九年にはの命令を受けた明智光秀軍等の侵攻に遭って当主の一色義道が殺され、子の一色義定は織田信長に実力を認められ一色氏を復興させるが、織田信長亡き後の豊臣政権下で細川氏に謀殺される。

叔父の一色義清も義定を継いで細川軍と懸命に戦ったが、千五百八十二年に敗れて丹後に於ける本宗一色氏は完全に滅亡してしまった。

名門名家と言えど、時流に乗れなければ生き残れない。

しかしながら一色氏の支族は各地に点在しており、関東には鎌倉公方の御一家として一色直氏の孫・一色長兼の一族・幸手城主一色氏が居り、古河公方の終焉まで仕え、江戸時代には旗本や水戸藩士として続いた。

また、戦国時代に甲斐守護・武田氏に仕えていた一色流土屋氏は、武田氏滅亡後に土屋忠直が徳川家康に召出されて上総・久留里藩(くるりはん)二万石の藩主となる。

この一色流土屋氏は、当主が土屋直樹の代に狂気を理由に改易され、土屋氏は直樹の長男の家系が三千石の旗本として存続した。

その他、織田・豊臣両氏に仕えた一色・丹羽氏の丹羽氏次は、江戸時代に三河伊保藩(一万石/後に美濃岩村藩二万石)の藩祖となった。

また徳川家康の側近として仕えた臨済宗の僧・金地院崇伝(こんちいんすうでん)は一色氏の末裔であり、崇伝・従兄弟に一色範勝の一族あり、徳川家旗本として仕えるも寛文五年に無嗣断絶となっている。

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by mmcjiyodan | 2011-02-12 15:01  

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