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嘉吉の乱(かきつのらん)

嘉吉の乱(かきつのらん)のそもそもの事の起こりは、六代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が自らの権力強化を目論んで有力守護を廃する動きをした事に端を発している。

その為幕府の最長老格となっていた赤松満祐(あかまつみつすけ)は将軍・義教に疎まれる様になっており、千四百三十七年(永享九年)には播磨、美作の所領を没収されるとの噂が流れている。

将軍・義教は赤松氏庶流の赤松貞村(持貞の甥)を寵愛し、千四百四十年(永享十二年)三月に摂津の赤松義雅(満祐の弟)の所領を没収して貞村に与えてしまった。

また、同年五月に大和永享の乱が起き、大和出陣中の一色義貫と土岐持頼が将軍・義教の命により誅殺され、「次は義教と不仲の満祐が粛清される」との風説が流れはじめ、満祐は「狂乱した」と称して家督を子の教康に譲って隠居する。

千四百四十一年(嘉吉元年)四月、足利持氏(あしかがもちうじ/四代目の鎌倉公方)の遺児の春王丸と安王丸を擁して関東で挙兵し、一年以上に渡って籠城していた結城氏朝(ゆうきうじ)の結城城が陥落(結城合戦)した。

捕えられた春王丸、安王丸兄弟は、護送途中の美濃垂井宿で斬首され、これより先の三月に出奔して大和で挙兵し、敗れて遠く日向へ逃れていた弟の大覚寺義昭も島津氏に殺害されており、将軍・義教の当面の敵は皆消えた。

黙って居れば、将軍・義教の意に沿わない守護は潰されてしまう運命で、事此処に到っては赤松満祐一族は切羽詰っていた。

赤松満祐の子・教康は、結城合戦の祝勝の宴として松囃子(赤松囃子・赤松氏伝統の演能)を献上したいと称して西洞院二条にある邸へ将軍・義教を招いた。

この宴に相伴した大名は管領・細川持之(ほそかわもちゆき)畠山持永、山名持豊、一色教親、細川持常、大内持世、京極高数、山名熙貴、細川持春、赤松貞村など将軍・義教の介入によって家督を相続した者たちで、他に公家の三条実雅(義教の正室・三条尹子の兄)らも随行している。

つまり宴に同席したのは、赤松満祐(あかまつみつすけ)・教康(のりやす)の父子以外、全ては将軍・義教お気に入りの取り巻き連中だった。

一同が猿楽を観賞していた時、にわかに馬が放たれて屋敷の門が一斉に閉じられる大きな物音がたち、癇性(かんしょう)な将軍・義教は「何事であるか」と叫ぶが、傍らに座していた公家・三条実雅は「雷鳴でありましょう」と呑気に答えたと言う。

その直後、障子が開け放たれるや甲冑を着た武者たちが宴の座敷に乱入、赤松氏随一の剛の者・安積行秀が播磨国の千種鉄で鍛えた業物を抜くや義教の首をはねてしまった。

周囲に居たのは将軍・義教の取り巻き連中だったのだが、赤松父子やその家人と覚悟が違い、誰もほとんどが義教を救おうと動かないまま義教が討たれると無抵抗のままに各々自分の屋敷に逃げ返っている。

管領・細川持之を始め諸大名達は、赤松氏がこれほどの一大事を引き起こした以上は「必ず同心する大名がいるに違いない」と考え、形勢を見極める為に邸へ逃げ帰ると門を閉じて引き篭(こも)ってしまう。

それでなくても籤(くじ)引きの候補者はあと三人残っていて、つまり赤松氏が帝や先代先々代の将軍の血筋と「合意上の行動か」と疑いを持ったのだ。

しかし義教暗殺は、実際には赤松氏に拠る単独犯行で、赤松満祐一族はすぐに幕府軍の追手が来ると予想して屋敷で潔く自害する積りで居た。

だが、夜になっても幕府軍が押し寄せる様子はなかった為に赤松満祐一族は領国に帰って抵抗する事に決め、邸に火を放つと将軍の首を槍先に掲げて隊列を組んで堂々と京を退去した。

その後漸くして管領・細川持之が評定を開き、義教の嫡子・千也茶丸(足利義勝)を次期将軍とする事を決定し体勢を整えた。

将軍・義教の葬儀の後、細川持常、赤松貞村、赤松満政の大手軍が摂津から、山名持豊ら山名一族が但馬、伯耆から播磨、備前、美作へ侵攻する討伐軍が決定した。

討伐軍が領国へ侵攻すると、赤松満祐一族は各方面で善戦するが力尽き城山城へ籠城するが山名一族の大軍に包囲され、翌々日幕府軍が総攻撃を行い、覚悟を決めた赤松満祐(あかまつみつすけ)は教康(のりやす)や弟の則繁を城から脱出させ、自らは切腹した。

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by mmcjiyodan | 2011-02-16 03:32  

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