征夷大将軍と幕府

征夷大将軍は朝廷の令外官の一つで、桓武天皇(第五十代)がまだ祭らわなかった奥州の東北蝦夷(とうほくエミシ)の平定を目論んで任命した征夷大将軍の前身である征夷将軍・巨勢麻呂(こせのまろ)や征東大将軍・紀古佐美(きのこさみ)などの役職が存在した。

所が、征東大将軍・紀古佐美(きのこさみ)の軍は、ヒタカミ(日高見国)蝦夷の役アテルイ(阿弖流為)の軍に大敗してしまう。

征東大将軍・紀古佐美(きのこさみ)の敗戦後、天皇の考えを「逐一聞かなくても良い」と言う軍人全ての世俗的な最高司令官としての力が備わった職権を有する征夷大将軍が制定され、初代征夷大将軍・大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)、二代征夷大将軍に坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)を任じた事に始まっている。

九百四十年(天慶三年)に藤原忠文(ふじわらのただぶみ)が平将門を追討する為に右衛門督・征東大将軍任じられ、千百八十四年(元暦元年)に源義仲(木曽義仲)が、征東(大)将軍に任じられているが、いずれも蝦夷征討を目的としたものではない。

また、千八十三年(永保三年)の後三年の役(ごさんねんのえき)の折に、源義家(八幡太郎義家)が奥州鎮守府将軍として東北の兵乱を平定しながら朝廷から評価されず止む負えず部下に自費で恩賞を配った事から、「武家の棟梁には源氏」と言う風潮が出来て後の征夷大将軍には源氏の血流が必要となって行き、鎌倉・室町・江戸と一応源氏の血流と言う事に成って居る。

その後、征夷大将軍は征夷(蝦夷征伐/エミシ征伐)と言う目的から離れて天皇が任命する軍の最高司令官の役職名と成り、天皇によって任命される事から天皇の持つ神聖さも持ち合わせる事ができると解され、鎌倉中期から江戸幕末まで、約六百七十五年間に渡って軍人である侍が行政全てを行っていた事から、国王に近い権力を持つ事ができた。

千百八十五年(千百九十二年/建久三年説あり)に源頼朝が征夷大将軍の位を得て源・鎌倉幕府を開いて後、但し三代将軍・以降は北条得宗家による専制政治の約百五十年間の鎌倉期がある。

その鎌倉幕府を倒した後醍醐帝建武政権から離反した足利尊氏が千三百三十六年(建武三年)に成立させた室町幕府十五代・約二百四十年間が室町期となる。

足利・室町幕府が衰退して統治能力が無く成り、戦国期から安土桃山期を経て
徳川家康が千六百三年(慶長八年)に征夷大将軍に任官し創設した武家政権の徳川・江戸幕府十五代・約二百六十年間と、征夷大将軍を長とする武家政権が続いた。

征夷大将軍による武家政権の終焉は、千八百六十七年(慶応三年)、江戸幕府最後の将軍と成る徳川慶喜(とくがわよしのぶ)による大政奉還で江戸幕府が消滅し、更に王政復古の大号令を発令した明治新政府によって征夷大将軍の官職も廃止された。

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皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2011-07-22 17:39 | Comments(0)  

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