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藤原良房(ふじわらのよしふさ)

右大臣藤原内麻呂の子・冬嗣(ふゆつぐ)は時の天皇・嵯峨(五十二代・桓武朝流第三代)の一歳年上の側近として信頼が厚く、嵯峨天皇が秘書機関として蔵人所を設置すると、初代の蔵人頭(くろうどのかみ)となった。

藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が、八百十年に嵯峨天皇(さがてんのう/五十二代)の筆頭秘書官(又は官房長官)と言うべき蔵人頭(新設官庁である蔵人所の長官)に就任した事に家勢の上昇が始まった。

その後の冬嗣(ふゆつぐ)は嵯峨天皇の下で急速に昇進し、既に十年近く前に参議となっていた藤原式家の藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)をも追い越し大納言として台閣(たいかく/政策決定機関・議政官)の長と成り、最終的には父・内麻呂より一階級上の左大臣まで昇りつめ、北家隆盛の基礎を築いた。

冬嗣(ふゆつぐ)の子・藤原良房(ふじわらのよしふさ)は、「承和の変」に於いて両氏及び藤原式家を失脚させて八百五十七年に人臣として初めて太政大臣に就任する。

また、良房(よしふさ)は文徳天皇(もんとくてんのう/五十五代)に娘を嫁がせ、その結果五十六代・清和天皇(せいわてんのう)が誕生し、良房(よしふさ)は天皇の外祖父として確固たる政治基盤を築き、八百六十六年には「応天門の変」に於いて伴・両氏を失脚させ、人臣として初めて摂政(せっしょう)へと就任する。

この藤原良房(ふじわらのよしふさ)の、娘を天皇家に嫁がせて次代の天皇と母系的繋がりを持つ手法は藤原北家の伝統となり、天皇の代理者・補佐者としての地位の源泉ともなって摂関政治(せっかんせいじ)体制を確立して行った。

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by mmcjiyodan | 2011-10-04 08:40 | Comments(0)  

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