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真言(密教)立川流の謎

元々弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典を現代の先入観に当て嵌めて真言密教を理解しようとする所に無理がある。

弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典には、ヒンドゥー教の経典も多数含まれていた事から真言密教が生まれた。

ヒンドゥー教は、シヴァ神の御神体・リンガ(男根神)を仰(あお)ぐ信仰で、人々は性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっている。

性典・カーマスートラを生み出した性に対しておおらかな信仰の教義が、弘法大師(こうぼうだいし/空海)の手で伝わったのである。

弘法大師(空海)が持ち帰った真言密教は、桜の原種・ヒマラヤ桜と同様に中華帝国を経由して日本列島に伝わったネパールやブータン発祥の性文化そのものである。


真言(密教)立川流は、陰陽修験道の影響を色濃く受けている。

修験道師の祖「役小角(えんのおづぬ・賀茂小角)」が創設した陰陽修験は、賀茂葛城家に伝わる「呪詛信仰(事代主神/ことしろぬしのかみ)」の呪術、占術、元々列島に存在した八百万(やおよろず)の「原始自然信仰」と、渡来して来た中世の「妙見信仰・北辰信仰」や「道教」を習い合わせて誕生し、その後の仏教などの渡来宗教にも影響を受けて行くのだが、どう考えても自然発生的に陰陽修験が成立したとは思えないのである。

武蔵国・立川に在住した陰陽師の出身の真言宗の僧侶・見蓮(もくれん)が、伊豆の大仁に流人として住まいし真言宗の僧侶・仁寛(にんかん)に真言密教の秘伝を授けられ、陰陽道と真言密教の教義を混合して真言密教・立川流を興し、「開祖・布教した」とされている。

その後、当時の幕府所在地・鎌倉には、京都から放逐された「天王寺真慶らによって伝えられた」と言われている。

真言立川流は、弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った理趣経(りしゅきょう)を主な経典として、人間性を上手く取り込んだ教義である。

為に真言立川流は多くの信者を集め、真言密教の僧のうち「九割が立川流の信徒となっていた」と言われ、文書「受法用心集」によると、一時期、真言密教の主流(真言大覚寺派)として立川流は浸透を続けた。

南北朝並立時代から室町初期にかけては後醍醐天皇の庇護を受、政局にかかわるほどの力を有したのだ。

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◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

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by mmcjiyodan | 2012-04-12 10:48  

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