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娯楽・英雄物語の虚(きょ)

庶民がささやかな夢を託す英雄待望論は、裏を返せば他人任せの横着な思想である。

つまり自分は何も努力はしないが、誰かに自分に代わって「その苦労を背負って欲しい」と言う身勝手な話しなのだ。

しかしその身勝手を目当てに作家・脚本家が創り出した英雄物語は、庶民のささやかな夢を乗せて事実以上に大活躍してくれる「虚構」の娯楽と成る。

つまり良く在る話だが、作家に拠る「面白可笑(おもしろおか)しい虚構」が混ざって評判をあげる現象が「娯楽・英雄物語の虚(きょ)」である。

英雄は確かに英雄かも知れないが、エピソードの半分はその時代の作家(メディア)に拠って膨らまされている。
その膨らまされたエピソードの英雄の方が夢が在り、読む方にとって遥かに魅力的だからである。

そうした「虚構」が読み物として、また芝居や映画として繰り返し世に出ると、もうその物語には「虚構」と「事実」の境目を見つけるのが難しく成ってしまう。

「虚(きょ/感性)」の現象の原因として、江戸期に始まった娯楽、草紙(小説)、芝居の舞台本(脚本)のヒーローは、本人及び身内の自画自賛や後世の人々がかなり膨らましてデッチ挙げた物が多い。

テレビ局の安易な番組製作も困ったもので、まだ真贋を論争中の事項にも「文化としての歴史」を定説として「歴史クイズ番組」を成立させ、また「歴史検証番組」にも「文化としての歴史」をそのままに放映している。

そしてそれらが繰り返し演じられると、あたかもそれが今を生きる一部の人々に「事実としての正史」と誤解されて現代に到っている。

有名な脚色・創作例は、牛若丸(源義経)と弁慶の「京の五条橋に於ける出会い」の下り、日吉丸(豊臣秀吉)と蜂須賀小六(正勝)の「矢作橋の出会い」の下り、宮本武蔵と岩流(佐々木小次郎)の「舟島(巌流島)の決闘の詳細」などが挙げられる。

益してや、公文書である古事記日本書紀にしても半ば公文書らしき吾妻鏡や義経記、徳川実記(徳川家の諸実記)などなどにしても、専門家をして「かなりの虚構が混ざっている可能性がある」とされている。

それ故に、歴史の真相を掴むには結構一筋縄では行かないのである。

だからこそ、この「現実の歴史」と「文化としての歴史」の二つの混在を、上質の「推理ドラマの物語」にして「読み解きながら歴史の旅を進めたい」と思い付いた。

詳しくは、小論・【日本史・歴史のミステリー】を御参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-04-13 14:12 | Comments(0)  

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